芭蕉も「お水取り」に参籠

東大寺二月堂のお水取りに松尾芭蕉も参加しています。当時は現在のように参拝客や観光客でごった返すことはなかったでしょうから、二月堂の中に入り、長い夜の間、僧侶の読経などに合わせて仏様にお祈りをしたのだろうと思います。

実際、芭蕉の俳諧紀行文『甲子吟行』には、次に述べます俳句の前に「二月堂に籠りて」との前書が書いてあります。

お水取りを詠った芭蕉の句

二月堂に籠って芭蕉は次の句を詠みます。

「水とりや氷の僧の沓(くつ)の音」

沓とは僧侶が履いているもので、つま先の方に覆いがあり、下の部分は木でできています。この沓を履き、おたいまつを道明かりにして、僧侶が登廊(のぼりろう)を二月堂へと登っていきます。おたいまつが二月堂の舞台にかざされる頃、ダンッ、ダンッと甲高い音が響きます。これが沓の音で、僧侶が堂に入った時に立てる音です。冬の厳しい寒さが残る三月初旬の夜ですから、空気も乾いていて沓音は鋭く聞こえます。

二月堂の傍らの句碑

あまり知られていないのですが、二月堂の南側には芭蕉の句碑があります。小さな龍王之瀧というものがあって、その側の石に次の俳句が刻まれています。

「水取りやこもりの僧の沓の音」

よく注意して見て下さい。先に紹介しました句は「氷の僧」ですが、後の石碑の句は「こもりの僧」です。こもりの僧の出所は『芭蕉翁絵詞傳』というものですが、『甲子吟行』は芭蕉の直筆の本ですから、氷の僧の方が正しいと言われています。

直筆の書があり、正しい句がどれであるかが分かっているにもかかわらず、そうでない句が芭蕉の句碑として刻まれていることに不思議さを感じます。

今も句碑として存在しているということは、『芭蕉翁絵詞傳』に載っている句であるからなのでしょうか。それとも他に何か理由があるのでしょうか。私には分かりません。

「氷の僧」と「こもりの僧」

学者や俳人の間では、「氷の僧」と「こもりの僧」のどちらが良いかで意見が分かれています。いろいろ見解が述べられていますが、私は「氷の僧」の方を支持したいです。その理由は二つあります。

一つ目は、俳人の加藤楸邨さんや法橋吾山さんという方および芭蕉研究家である増田晴天楼さんの考えの受け売りですが、「氷の僧」の「氷」という一文字には、厳しい寒さの中、ピンと張りつめた姿勢表情で修行に励む僧の姿が凝縮されていると思うからです。

二つ目は、芭蕉の他の俳句に「冬の日や馬上に氷る影法師」というものがあるからです。非常な寒さを表す時、芭蕉は「氷る○○」とか「氷の○○」と、氷の文字を使っていると思うためです。

句や詩を作る際、人は無尽蔵に新しい言葉を使うのではなく、その物事を一番表しているという言葉を使うのではないでしょうか。「若葉して御めの雫ぬぐはばや」と「我がきぬにふしみの桃の雫せよ」の「雫」と同じように。