いろいろ巡った陶器の郷
本『迦陵頻伽 奈良に誓う』には陶器の郷の話が何カ所も出てきます。奈良赤膚山、信楽、伊賀丸柱、益子などは主人公の訪問地として書かれている場所ですが、どこも筆者が好きで行った処です。本にわずかだけ書いている焼物にも思い出深い郷があります。岐阜県の美濃焼の郷、山口県の萩、那覇の「やちむん通り」、三重県四日市近くの尾高創房村などです。
知られていない三重県の尾高創房村
三重県で焼物と言えば四日市の万古焼の急須が有名です。しかし、四日市から近鉄電車で30分ほど北西の方へ行った菰野町でも陶器が作られています。このことは意外と知られていません。湯の山温泉近くの菰野陶芸村と、三重県「県民の森」近くの尾高創房村の2カ所で陶器が焼かれているのです。
尾高創房村は菰野駅から車に乗ること10数分、県民の森の近くだけあって、狸などいろいろの動物が間近に見られる場所です。ここに彫刻家や陶芸家が移り住んで作品を作っています。私が好きでときどき訪問していますのは奥三十郎さんという陶芸家のところです。ギャラリー兼応接間という建屋が母屋の傍に建てられ、部屋の応接セットに座ると、春には外の桜の花が見え、夏には木々の緑に囲まれ、心が落ち着きます。
温かさを感じる陶器
部屋の壁際には陳列棚、窓の下には陳列台があって、奥三十郎さんの作品がズラリと並べて置いてあります。黒い色の抹茶茶碗、渋いこげ茶色の酒器、夜空の星雲を写し取ってきたような皿、ふっくらとしたコーヒーカップとソーサー、そして肌色の土に薄く白色の釉薬がかかっている湯呑茶碗などです。どの作品も温かみがあって、作者の人柄が滲み出ているような感じを受けます。
それもそのはず、奥三十郎さんは最初から陶芸家の道を歩んだ方ではなく、サラリーマンから転身した人なのです。いろいろと会社員としての苦労があり、退職後に予想外の出来事もあったようですが、それを仲良しの奥さんと二人で乗り越えてこられたのです。もともとの人柄の良さに、さらに磨きがかかって作品に優しさが表れているのでしょう。
作陶は佐賀県の唐津で中里隆さんの内弟子となってしっかり習い、その後、独立して尾高創房村に窯を構えたそうです。そして、陶器は日常使いができなければいけない、つまり高価なものであってはいけないと思って、いろいろな器を作ってきました。奥三十郎さんは地元の三重県を始め、東京、大阪、名古屋などで展示会を開催していますので、機会があればご覧になってみてください。器ってこんなに温かいものなのかと感じられるのではないでしょうか。