唐招提寺にある石碑

唐招提寺の境内には大小さまざまな石碑があります。有名な芭蕉の「若葉して御めの雫ぬぐはばや」の句碑、會津八一の歌碑、「巡展礼讃」の詩が刻まれている鑑真和上廟所の玉垣、そしてほとんど存在が気付かれていない英文の小さな詩碑などです。これらについては、当「鏡清澄の最新情報」で取り上げてきました。

今回は、大きな石碑であるにもかかわらず参拝客に気付かれることが少ないものについて、その存在場所とどんな石碑なのかを書くことにします。

松瀬青々の句碑

松瀬青々とは昭和初期の俳人で、大阪朝日新聞に入社して朝日俳壇の選者をしていた人です。関西地区の俳句振興に大きな貢献をしました。その人の詠んだ句が、人の背丈ほどある細長い石に彫られて建っています。場所は唐招提寺南大門を入って左手の雑木林の中です。多くの参拝客は金堂から講堂へとお参りして行きますので、大きな句碑に気付かないのです。

俳句は、「門を入れば 両に稲田や 招提寺」です。招提寺とは唐招提寺のことで、門を入ったら両側が田んぼであるという当時の唐招提寺の窮状が詠われ、今に伝えられています。

天平の甍の石碑

鑑真和上の廟所に西側の林の中に長さが約3メートル、高さと厚みがそれぞれ約1メートルという大きな石が置かれています。表面には「天平の甍」と井上靖の文字が彫られ、裏面にはこの石碑が造られたいわれが小さい文字で刻まれています。裏面の碑文として非常に良い文章と思いますので、そのまま転載してみます。

千載の昔 淡海三船元開撰述

「唐大和上東征傳」あり

早稲田大学教授 安藤更生博士

「鑒眞大和上傳之研究」を著す

作家 井上靖氏 その教示を得て

小説「天平の甍」を世に贈る

大和上の行實巷間に広まるは

両民の功大なり

   一九九六年五月吉日

    唐招提寺 第八十二世長老 證圓

東山魁夷の石碑

東山魁夷の石碑は滅多に見ることができません。それは通常一般公開されていない御影堂の庭の木々の中にある碑だからです。私は瓊花が咲いて供華園が一般公開されるゴールデンウィークに、供華園近くの地蔵堂の傍からこの石碑を見ました。先の「天平の甍」の碑と同じくらいの大きさです。もしかするとそれより大きいかもしれません。

御影堂に向かっている石碑表面には「山雲 濤聲」という四文字と東山魁夷の名前が刻まれ、裏面には御影堂障壁画のそれぞれについて制作順に左側から題名と制作年が彫られています。