キリスト教の最も大切な教え

聖書のマタイ伝第7章12節にこういう言葉があります。

 「So in everything, do to others what you would have them do to you.」

意味は、「何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい」です。黄金律と呼ばれ、聖書で最も大切な教えと言われています。

儒教の最も大切な教え

一方、論語の衛靈公篇24には次のような言葉があります。

「子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也」

意味は、「孔子の弟子の子貢が孔子に聞きました。生涯行っていくべき大切なことを一言で言ったら、それは何ですか?孔子は答えました。それは恕(じょ。思いやり)だね。自分がして欲しくないことは、人にしないことだ」です。生涯行っていくべき大切なことを一言で言っているわけですから、こちらも論語で最も重要な教えと言って良いと思います。

キリスト教と儒教の共通項

聖書は「自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい」と肯定的表現で、論語は「自分がして欲しくないことは、人にしないことだ」と 否定的表現で文章化されていますが、どちらも思いやりが一番大事と教えてい ます。

しかも、内容は難しいことではありません。非常に簡単です。「自分を判断基準にして、自分がして欲しいことは人に対してする、自分がして欲しくないことは人に対してしない」ということですから。自分がどう思うかを確認して、周りの人に思いを遣(や)れば、思いを馳せれば、いいのです。それが「思い遣(や)り」なのです。

仏教の言葉

キリスト教や儒教の最も大切な教えは分かりました。それでは仏教では何が最も大切な教えなのかと考え探していたとき、新聞の小さなコラムに、東京大学教授で印度哲学者の中村元(はじめ)さんの一文が載っているのを見つけました。

それによりますと、上述のキリスト教や儒教の最高の教えに相当する仏教の言葉は「慈悲」だというのです。

慈悲とは一般に、仏様や菩薩が民衆を慈しみ、救いたいという切なる願いであると言われていますが、中村元さんは、慈悲とは「抜苦与楽」であると述べていました。さっそく原典に当たってみますと、『大智度論』という摩訶般若波羅密経の注釈本に、慈悲について次のように書いてありました。

「大慈與一切衆生楽。大悲抜一切衆生苦。」

意訳すれば、「大いなる慈(いつく)しみとは他人に楽しみを与えることであり、大いなる悲(あわ)れみとは他人の苦しみを除き去ることである」でしょう。

確かにこの言葉は先程のキリスト教や儒教の言葉に通じるところがあります。他人に楽しみを与えるとは、人がして欲しいことをすることであり、他人の苦しみを除き去るとは、人がして欲しくないことをしないことだと思います。ただ、慈悲には「自分がどう思うかを確認して」という前段がありません。これは仏様や菩薩を主語としている言葉だからなのでしょうか。

ともあれ、仏教の大切な教えもキリスト教や儒教と同じく、「人がして欲しいと思うことをして喜びを与え、人がして欲しくないと思うことはしないで苦しみを除きさる」ことなのだと思いました。主な宗教や生き方の教えは、根本がほとんど変わらないのだとも感じました。