唐招提寺の新宝蔵

唐招提寺の境内の東側、木々の生い茂った中に高床式の宝物館「新宝蔵」があります。古い木造の建物が多い唐招提寺の中で珍しくコンクリート造りですが、木々に囲まれているせいでしょうか、あまり違和感がありません。新宝蔵の前には大きな木大角豆(きささげ)の木が生えていて、苔むした幹を四方に伸ばしています。木大角豆はササゲに似た実を付ける木であることから、その名がつけられたようです。

館内に入りますと、大きな宝物や何体もの仏像が目に入ってきます。その中でよく話題になるものは、拝観順に「勅額」、「如来形立像(にょらいぎょうりゅうぞう)」、「鴟尾(しび)」です。

勅額

新宝蔵に入ってすぐ右側にほぼ真四角、若干縦の辺が長い木製の額があって、唐招提寺と縦に二文字ずつ書かれています。厳密に言いますと、文字が彫ってあります。この額については以前(2011年9月14日)に最新情報の「唐招提寺と書」で述べていますので重複記述は避けますが、この新宝蔵にある物が元々のものであり、現在、唐招提寺南大門に掲げられてある額はこれを模刻したものです。

如来形立像

恥ずかしいことですが、私は長い間、新宝蔵に何体もある木像の破損仏が好きではありませんでした。なかでも、木心乾漆・漆箔で造られた「如来形立像」が嫌でした。それは、頭と両手、そして足の先端部分が無い仏像だからです。年代を経て、材質的な問題で欠け落ちてしまったのかもしれませんし、何らかの出来事で破損したのかもしれません。私は若い時にこの仏像を見て、自分が人間として不出来のため、破損しているものには美しさを感じず、気味悪く(ごめんなさい)思ったのです。そして、その後あまり拝観しませんでした。

先日、人を案内して久しぶりに唐招提寺の新宝蔵に入り、如来形立像を見ました。まだ「拝観しました」と書けない気持ちであることに変わりはないのですが、その像の太ももの辺り、脚と衣の線は力強く流れる感じがして、ちょっと良いかなと初めて思いました。

作家の井上靖は、その著『美しきものとの出会い』で、この如来形立像の素晴らしさについて次のように書いています。

「私はその破損仏を目にした瞬間、異様な感動に襲われた。いかなる完全なものより、それは完全に見えた。明るく、自由であった」 

私はとてもとても井上靖のように感じることはできないでしょうが、今後何回も新宝蔵に通い、如来形立像に接していれば、だんだんと良さが分かってくるのかもしれないと思いました。

鴟尾

鴟尾は瓦葺きの大きな屋根の両端に取り付けられる飾りです。火災防止のまじないの物であり、当初は沓(くつ)の形をしていました。その後、時代が下って、形は想像上の魚である鯱(しゃち)に変わっていきます。

新宝蔵には、平成の解体大修理まで唐招提寺金堂の屋根に取り付けられていた一対の瓦製の鴟尾が展示されています。向かって左側(金堂の西側)の鴟尾が奈良時代からの鴟尾で、これが「天平の甍」と言われるものです。右側の鴟尾は鎌倉時代に作られたものです。当初、天平の甍は右側(金堂の東側)に取り付けられていたのですが、正面に割れ目ができたため、左側に移して割れ目を参道から見えなくしたと言われています。

亀裂の入った、古色蒼然とした大きな飾り瓦を間近に見ますと、この瓦は1200年以上もの長い間、風雨に耐え、世の中を見つめてきたのだなと、思いに浸ってしまいます。