西岡常一棟梁

<祖父が手塩にかけて育成>

西岡常一棟梁は薬師寺の金堂や西塔などを再建した宮大工棟梁です。宮大工とは神社や寺院などを専門に建てる大工さんで、古代の建築や重要文化財の建物の構造などに精通しています。

西岡常一棟梁の祖父は法隆寺の宮大工でした。父は農家出身で23歳の時に西岡家の婿養子になります。それまでは農業しか知らなかった人です。祖父は孫の常一に期待し、手塩にかけて育成します。

私が西岡常一棟梁の話を調べていて非常に興味深かったことは、常一棟梁の進学を巡っての祖父と父の意見の対立でした。父は設計や製図を学ぶために工業高校が良いと言い、祖父は農学校が良いと言います。絶対権力者の祖父の命令で常一棟梁は農学校へ行きます。農学校へ行けと言った祖父の深い思いは、あとで宮大工が木を買う時の考え方を知って、なるほどと私は思いました。

<宮大工の口伝>

西岡家には「宮大工の口伝(くでん)」という家憲があります。その中で特に私の印象に残っています言葉は「堂塔造営用の用材は木を買わずに山を買え」という言葉です。この言葉について西岡常一棟梁はその著書の中で、適材適所の意味に関係していると述べていました。

「南側に立てる柱は、山の南斜面に生えていた木を使う。

北側に立てる柱は、山の北斜面に生えていた木を使う」

理由は陽の当たり具合で歪みが起きない、育った環境による個性が活かされるというものです。文字通り適材を適所に使うわけです。

<薬師寺伽藍の復興>

法隆寺の宮大工であった西岡常一棟梁は薬師寺に請われて薬師寺金堂再建の棟梁になります。そして金堂再建後、西塔、中門、回廊を復興し、玄奘三蔵院伽藍を建立します。

薬師寺の西塔は東塔に対して10センチメートル高く建っています(本によっては30センチメートルと書いてあるものもありますが、私の記憶では確か10センチメートルでした)。これは西岡常一棟梁の説明によりますと、「東塔は長い年月の間に地盤沈下して現在の高さになっているので、西塔も年月を経ると地盤沈下し、同じ高さになる」とのことです。千年を超える歴史の評価に耐える仕事をするというこの信念に驚き、感心してしまいます。

<西岡常一棟梁と私>

私が西岡常一棟梁を直接拝見した場所は薬師寺境内です。棟梁は10数人のグループ参拝者に金堂再建の話をしていました。私はあつかましくもそのグループの傍らにいて、棟梁の説明を聴いていました。