薬師寺の玄奘三蔵会大祭

薬師寺は興福寺とともに法相宗(ほっそうしゅう)、別名唯識宗の本山です。唯識宗の宗祖は慈恩大師ですが、天竺(現在のインド)で唯識の教えを学び、唐へその教えを持ち帰って慈恩大師に布教の役割を託した人が玄奘三蔵法師でした。

玄奘三蔵法師の命日は二月五日です。薬師寺では法師を顕彰する意味を込めて、その法要を「玄奘三蔵会大祭」という形にし、季節の良い五月五日に行っています。多くの人が法要に参加でき、健康を害することのないようにとの配慮からです。私は今年(2012年)の大祭に参加しました。

執事長の法話

薬師寺の玄奘三蔵院伽藍の側にありますお写経道場で、村上太胤執事長による法話がありました。日ごろは写経のために置いてある机と椅子が取り払われ、とても広い畳敷きの会場に大勢の人が腰を下ろして話を聴きました。

法話の内容は、薬師寺は何宗の寺かから始まって、自分(執事長)が9歳で薬師寺の小僧になった話、最初何にも分からなかった経の意味が何年も聞き流しているうちに段々と分かってきたこと、そして玄奘三蔵法師の天竺への旅についての説明などでした。

非常に印象に残り、私も同感と思った話は、話題がわき道へ逸れた時のもので、「子供を教育するとき、(無理して)食べさせない、眠らせない」ということでした。「食べなければ空腹になって、翌日からは何でも食べるようになる。眠らなければ走らせる。疲れて眠たくなり、すぐに眠るようになる」とのことです。ハングリー体験、ハングリー精神が必要ということでしょう。

管長の挨拶

午後4時から玄奘塔の前の特設舞台で法要が始まりました。寺の法要ですから唄(ばい)、散華(さんげ)、表白(ひょうびゃく)、大般若経転読、読経などが次々と行われました。そして薬師寺らしく、写経を108巻、216巻、500巻など節目の巻数実施した人の紹介があり、記念品が渡されました。紹介された人たちは控え目な態度ですが嬉しさを顔に浮かべていました。

その後、玄奘三蔵会大祭に参加した人へ山田法胤管長から挨拶がありました。挨拶の中で最も印象深かったことは「東日本大震災 犠牲者供養写経 寄進」の協力呼びかけでした。その要旨は次の通りです。

「これまで何度も被災地に足を運び、犠牲者の冥福を祈って経をあげ、義捐金を渡してきたが、どうもしっくりこない。義捐金は一時的に必要だが、将来に向かっての『人間の生きる力』を与えることに繋がっていない気がする。

薬師寺は写経の寺。写経は生きる力を与えてくれる。被災地の人々に写経をしていただき、自ら生きる力を掘り起こしていただきたい。

被災者の皆さんに写経を勧める活動を大震災の3回忌に向けて行う。亡くなられた方と行方不明者を合わせた人数が約2万人なので、目標の写経巻数は2万巻。多くの方々から1巻2000円の犠牲者供養写経の寄進をしていただき、それでもって写経の用紙を提供し、被災地の方々に写経をしていただく」