菩薩とは
菩薩とは仏様になるために修行中の人、あるいは仏様になれるのだけれども、衆生を救うためにこの世に身を置いている人と言われています。仏教上では観音菩薩や普賢菩薩などいろいろな菩薩がいますが、日本の歴史上の人物で朝廷から菩薩という称号を与えられた人は数少ないです。
そんな中で、行基菩薩は良く知られた人だと思います、橋や池、貧しい人のための施設などを作って民衆に尽くし、奈良の大仏建立にも貢献しました。
赤膚焼窯元に掲示されていた書
奈良・西ノ京の赤膚焼窯元であります古瀬堯三(ふるせぎょうぞう)窯の商品陳列場の板壁に、個性的な文字で書かれた色紙が額に入れられて掛けられています。書かれている言葉は「永遠なるものを求めて 永遠に努力する人を 菩薩と言ふ」で、署名は「好胤」です。
ちょっと記憶が定かではありませんが、この色紙は、陳列場のレジで商品の販売をしていた中年の女性の方が、「結婚するときに高田好胤管長から頂いた」と話してくださったように覚えています。その方は古瀬さんの奥さんなのかもしれません。
この額を初めて見た時、私は素晴らしい言葉だなぁと強く感じました。そしてその後、高田好胤管長がどのように努力し、自分を奮い立たせて、薬師寺の伽藍復興に取り組んだかを知るに従い、この額の言葉がさらに重いものとして心に響いてきたのでした。
私が菩薩と思う三人
菩薩のことを、仏様になるための修行をしていて≒真理や理想を求めていて、一方では衆生を救うためにこの世に身を置いている≒世の中の人を救おうと限りなく努力している人と考えたとき、私は玄奘三蔵法師、鑑真和上、高田好胤管長は菩薩と呼んでいい人だと思うのです。
玄奘三蔵法師は印度へ仏典を求めて過酷な旅をし、仏典の漢訳をして、中国に仏教を広めるために多大の貢献をしました。鑑真和上は正しく仏教を伝えるために、中国から何度もの渡航挑戦の末、日本へやってきました。高田好胤管長は荒れ果てていた薬師寺の伽藍を復興させるために、本質的には、荒れ果てた人間の心に良い心を復興させるために、写経勧進ということを行いました。
普通の人が菩薩になる時
玄奘三蔵法師も鑑真和上も頭脳明晰で非常に優秀だったと記録にありますが、神様や仏様ではありませんでした。ひたすら人のため世のために尽力してきた結果が偉業となったのです。その人の行いが周りの人たちに大きな感動と影響を与え、生き仏のように尊敬されるのだと思います。
高田好胤管長は玄奘三蔵法師や鑑真和上のように頭脳明晰で非常に優秀だったとはあまり本に書かれていません。かえって師匠の橋本凝胤管長から叱られてばかりいた野球好きな少年で、大人になっては美空ひばりの歌にはまっていたという、ごくごく普通の人間だったようです。
その普通の人間が1巻1000円の納経料による写経勧進を始めていき、写経呼びかけの講演のために東奔西走し、100万巻の写経を達成して、建設費用が10億円かかる金堂を再建するのです。
そして、「これで自分の仕事は終わった」と思った(おそらく、もう堪忍してくれと思ったはず)にも関わらず、周囲からの強い要請によって、薬師寺伽藍の再興という、とても一生のうちで成し得ない目標に向かって再び歩き出したのでした。そうです。あの言葉を実践したのです。
「永遠なるものを求めて 永遠に努力する人を 菩薩といふ」
このため私は、高田好胤管長は菩薩だと思います。こんな普通の人が、こんなに努力して偉大なことをやり続けたのです。そんな人と同じ時代に一緒に空気を吸ったことがあるのが嬉しく、あだやおろそかにできないと思うのです。