南都七大寺

南都つまり奈良には、奈良時代の終わりころまでに官寺として朝廷から支援を受けて建てられた大きな寺が七つあり、南都七大寺と呼ばれています。東大寺、大安寺、興福寺、元興寺、薬師寺、法隆寺、西大寺です。唐招提寺は官寺でないため正式には南都七大寺に入りません。しかし、法隆寺が斑鳩町にあるので、時として法隆寺を外して奈良市にある唐招提寺を入れ、これを南都七大寺と呼ぶことがあります。

南都七大寺のひとつ「大安寺」

南都七大寺はほとんどの寺が広い境内と多くの建物を現在保有していますが、大安寺はそうではありません。昔は大伽藍を誇っていましたが、次第に衰微し、現在は本堂とあまり大きくない建物がいくつかあるという状態です。そのため、少しずつ伽藍復興に取り組んでいます。

初めて参拝

大安寺は「癌封じの寺」として、また参拝者に青竹からお酒を注ぎ飲ませてくれる「笹酒祭りの寺」として有名ですが、実は私これまで大安寺へ行ったことがありませんでした。10年くらい前に自分で車を運転し大安寺へ行こうとして狭い道に入り込み、抜け出すのに大変苦労したため、再び行く気になれなかったのです。

今回歩いて大安寺へ行って初めて参拝しました。印象が良かったです。境内が静かで、空が広く感じられました。質素な本堂があり、参拝客もそれほど多くいません。私が参拝した日には秘仏の十一面観音立像が公開されていて、間近に拝むことができました。仏像の良さが分からない私には、腕が長い観音様という感想が強かったです。

境内で出会ったもの

本堂の左手前には狭い面積ながら竹林があって、その中の道を歩いていくと白い石でできた新しい塚があり、塚の笠の部分が乳房のかたちをしています。参拝者が乳癌に罹らないよう塚を撫でていくようです。

本堂の裏手の建物では数人の女性が細い竹を加工して「おちょこ」を作っていました。笹酒祭りにお酒を注ぐ竹の猪口(ちょこ)を早くから準備しているのだと思いました。出来上がったものを天日干ししているでしょうか、隣のお堂の前にゴザを敷き、竹猪口がたくさん置いてありました。

本堂の周囲を時計回りに歩いていくと五輪塔があり、側には巻物を広げた形の石碑「大安寺歴代住侶供養碑」があって、五輪塔の説明が書かれていました。住侶とは、住んでいたことがある僧侶ということなのでしょう。石碑には高僧の名前が10個刻まれていました。巻物をもっと広げると、さらに多くの高僧の名前がそこにあることを想像させます。

大安寺に住んでいたことがある高僧

碑に刻まれている高僧の名前のなかで、私が聞いたことがあるものは、大仏開眼の導師だった菩提僊那(ぼだいせんな)、伎楽を伝えた仏哲(ぶってつ)、真言宗開祖の空海、そして唐へ行って鑑真和上を日本へ招いてきた普照(ふしょう)でした。

普照は大安寺の僧だったのか、というのが率直な驚きでした。いつも唐招提寺へ参拝したり文章で書いたりしているにもかかわらず、普照が大安寺の僧だったことを完全に忘れていました。もっと正しく言えば、記憶にも残してなかったのでした。家へ帰ってすぐに井上靖の『天平の甍』のページをめくってみましたら、そこには明らかに「大安寺の僧普照」と書いてありました。唐招提寺が好きな私にとって、大安寺が急に身近な寺となりました。