法灯
法灯とは仏の教えとか、仏前の灯りという意味があります。そのため、しばしば「法灯を継ぐ」とか、「不滅の法灯」とかと言われます。法灯を継ぐと言う場合、多くはお坊さんによる教えの引き継ぎや、お寺の継続性を表していることが多いです。
法灯を支える
そんな中で、私は唐招提寺を見ていて、「法灯を支える人たちがいる」と思うのです。お坊さんではありませんから、法灯を継ぐと言うには当たらないです。しかし、しっかりと仏の教え、唐招提寺・開祖の鑑真和上の教えを我がものとし、和上の遺徳に感謝して、和上へのお礼を実践している人たちがいるからです。
その人たちとは岐阜市に本拠を構える「大明寺鑑真和上才花苑・薬草友の会」の皆さんです。これまでこのホームページでも「唐招提寺の薬草の疎開地」(2010年10月30日)、「日中関係悪化の中での日中友好セミナー」(2012年9月20日)と関連記事を掲載しています。
薬草友の会メンバーの感謝の気持ち
「薬草友の会」の活動内容は最後に一覧表示するとして、会の概要をまず紹介します。現在、会員数は約200名で、平均年齢70歳を越える人たちのグループです。岐阜県関市でほぼ毎週月曜日に薬草苑の世話をしています。そして、仏教をはじめ医薬や芸術など多くの面で日本のために尽くしてくださった鑑真和上にお礼をしなければと思って、中国・揚州市の大明寺(鑑真和上が日本へ渡航する前に住職をしていた寺)や奈良市の唐招提寺などで地道な謝恩の活動をしています。
会員の方たちは、心からの感謝の気持ちと、額に汗した奉仕と、金銭的な喜捨とで和上へ尽くしています。そしてそのことで「よろこび、しあわせ、ゆめ」を実感しているようです。
私は思います。このような法灯を支える人たちがいることによって、仏の教えや偉大な先人の心が後世に連綿と伝わっていくのだと。
活動の内容
「薬草友の会」が作成した冊子によれば、その活動内容は主なものだけでも次の通りです。
1994年 9月 薬草苑「神薬才花苑」を岐阜県郡上市(ぐじょうし)に開苑
1995年 7月 「自然と遊ぼう子供達」のイベントを実施
(以後、毎年実施)
1996年 唐招提寺境内の薬草苑の手伝いを実施
(以後、境内の薬草苑が休苑する1999年まで継続)
1997年 8月 中国・揚州市の大明寺に薬草苑の寄贈を申し入れ
1998年 5月 「鑑真和上の足跡を訪ねて」大明寺などへの参詣の旅を開始
(以後、毎年開催)
唐招提寺への参詣は毎年3~4回実施
1998年 6月 「鑑真和上才花苑運営委員会(略称:薬草友の会)」設立
1998年 大明寺境内に鑑真才花苑の建設を開始
1998年11月 鑑真才花苑の日本分苑の「神薬才花苑」で収穫された薬草で、「鑑真和上への薬草献納式」を開始
(以後、鑑真和上へのお礼を兼ねて毎年開催)
2003年11月 岐阜市にて「鑑真和上来日1250年祭」を開催
能「鑑真大和上」を上演、大明寺と唐招提寺の高僧他による講演を実施
(以後、「鑑真和上・栄叡大師のおこころ」と題した講演会を継続実施・・・ほぼ2年に1回)
*栄叡(ようえい)大師は鑑真和上へ渡日を懇請した日本の僧で、岐阜県の出身
2005年 4月 大明寺の僧が日本の正眼短期大学へ留学することを支援
(以後、継続)
*正眼短期大学は岐阜県美濃加茂市にある禅の短大
2005年11月 薬草苑「神薬才花苑」を岐阜県関市に移転
2009年 5月 大明寺の鑑真学院内に栄叡大師像を建立
2009年11月 唐招提寺金堂の平成大修理の落慶法要で、薬草友の会の
会長が信者代表の一人として焼香実施
2009年11月 関市の薬草苑「神薬才花苑」の近くに養生所「鑑真康寿堂堂」を建設
2012年 4月 唐招提寺の仏生会(ぶっしょうえ・・・花祭)で参詣者に贈呈する甘茶を、薬草から手作りして寄贈
(以後、毎年実施)