奈良県の下北山村とは、どんなところ

奈良県吉野郡下北山村(しもきたやまむら)とはどんなところか、旅に誘われたとき、私はまったく知りませんでした。地元の人の話では、奈良県の南端の村で、三重県の熊野市から車で約30分の場所にあり、海の幸も美味しいのだそうです。これまで行ったことのない場所なので、この機会にと下北山村へ行ってきました。

奈良県橿原市、近鉄電車の八木駅で待ち合わせして、マイクロバス乗って出発しました。長距離ドライブです。運転をしてくださった方は絶えずこの辺りの道を走っているとのことで、裏道、抜け道、国道と、かなりのスピードで走っていきます。ほどなく山道となり、車窓からは過去の大雨の被害で土砂崩れが起きている姿が見えます。復興はまだ半ばという感じです。

不動七重の滝

下北山村の山中、国道169号線の前鬼口(ぜんきぐち)から林道に入り、曲がりくねった急な坂道をマイクロバスで走って行きますと、見晴らしの良いところへ出、そこから遠くに滝が見えました。遠方からでもかなりの水量があるのが分かります。滝は何段にもなって落ちています。「不動七重の滝」と呼ばれ、日本の滝100選にも入っているとのことでした。滝の後ろには峰々が連なり、大峯奥駆道として修験者が踏破の修行をする場所です。この滝と周囲の雄大の山々の景色は一見の価値ありです。

役行者の伝説の宿泊施設

滝を見て、さらに林道を走って行きました。そうすると、道路が鎖でふさがれていて錠がかかっています。ここからは一般車通行禁止の前鬼(ぜんき)林道です。前鬼(ぜんき)とは、昔、修験道を広めた役行者(えんのぎょうじゃ)に夫婦者の鬼が説教されて改心し、人間の姿になって行者の従者になったと言う話から来ています。鬼の夫の方が行者の前を歩いたので前鬼、妻が後ろを歩いたので後鬼(ごき)と呼ばれています。

鬼夫婦には5人の子がいて、五鬼助(ごきじょ)五鬼熊(ごきくま)などという苗字で、明治の中ごろまでその子孫が5つの宿坊を経営していたそうです。大峯奥駆道で修行する修験者がお客様でした。

鬼うんぬんは伝説の域を出ないでしょうが、5つの宿坊があった地域が現在、前鬼(ぜんき)という集落になっています。そして宿坊の跡と言われる石垣や礎石が山の斜面のわずかな平地に残っています。

ロマンを感じられるのが、現在、第61代という五鬼助義之さんが小仲坊(おなかぼう)という宿坊を週末に開業していることです。私たちが五鬼へ行ったときは平日だったために、誰もいませんでした。無人の山中にひっそり建っている宿坊「小仲坊」と、五鬼熊の無くなった宿坊「行者坊」などの石垣。あたり一帯は鬼か霊か天狗が出てきそうな、一種独特の雰囲気が漂っていました。

ダム底の一大サッカー場

私達の宿泊場所は下北山村スポーツ公園の宿舎です。下北山村スポーツ公園は、吉野山系や大峯山系の豊富な水を貯めるアーチ形の池原ダムの下流河川敷に作られた広大な公園で、サッカー場4面やテニスコート12面、そしてキャンプ場や野外ステージ、温泉施設や宿泊施設があります。通常、ダムの下流河川敷にそれほど広い土地があるはずはないのですが、ここのダムは水を貯めるだけで下流へ水を流さないために土地があるのです。水は反対方向にある揚水発電所の方へ行きます。

高さ110メートルのアーチ型コンクリートダムの上からスポーツ公園を見下ろすと、その敷地の広さに驚き、ダムの真下からダムを見上げると、その大きさに圧倒されます。

このスポーツ公園では夏などに小中学生のサッカー合宿が数多くされているとのことで、現地へ来てみて私は初めてそのことを知りました。