幻の五新鉄道
約80年前の1937(昭和12)年、奈良県中西部の五條市から和歌山県新宮市まで南北に走る鉄道を敷設する工事が着手されました。両市の文字をとって五新鉄道と呼ばれたものですが、太平洋戦争で資材不足となり工事は中断されました。戦後、工事が再開されますが、道路交通の発達、林業の衰退などがあって、1982(昭和57)年に鉄道建設工事は完全に中止となりました。
その歴史的遺産とも言うべきコンクリート造りの高架橋脚と線路敷設の路盤が、五條市の新町通りの西方にあります。いくつも橋脚が連なって伸びてきた路盤が、突然途切れて、空中に突き出ています。遠くには西吉野や紀伊山地の山並みが見え、あちらの方へ線路が伸びていくはずだったのだと痛ましい気持ちになりました。
線路予定地はバス専用道として利用された
五新鉄道の線路を敷くために整地された土地はこれまでバス専用道として使われてきました。当初は国鉄が、その後は奈良交通が路線バスを走らせてきました。現在バスが走っている専用道は、五條市街地の県立五條病院の近くから、南へ約30分の城戸(じょうど)というところまでです。
しかし、バス利用客の減少や道路の維持管理費用が高額であるため、この専用道バスは2014年9月末をもって廃止され、道路もトンネル封鎖によって実質的に利用できなくなることになりました。
ボンネットバスでバス専用道を走る
バス専用道がなくなることを踏まえ、今回「懐かしいボンネットバスで行く幻の五新鉄道ツアー」が行われました。私もツアーに参加してみました。
交通博物館に陳列してあってもおかしくないボンネットバスに乗り、単線の線路分の幅の専用道を走っていきます。トンネルなどは仮に人が歩いていたら、無事にすれ違えないほどの狭さです。バスはツアー客の要望によって何度か途中で停まり、写真撮影の機会を作ってくれました。折り返し地点の城戸(じょうど)へ着きましたら、そのバス停標識が「専用道城戸」となっていて、ここでまた五新鉄道の面影を見た思いがしました。
五條と言えば「柿の葉すし」
五條市内に戻ってきたマイクロバスは柿の葉すしの「たなか」本店へ立ち寄りました。お土産に柿の葉すしを買ってくださいとの意味を持った、奈良交通と「たなか」の連携のようです。柿の葉すしは、もともとサバの切り身をすし米にのせ、柿の葉で包んだものだけでしたが、最近はサバだけでなくサケやタイなど種々の切り身を包んだものが売られています。さっぱりした味で私もよく好んで食べます。
なお、五條市の奈良交通バスセンターの隣にイオン五條店があるのですが、そこには柿の葉すしバイキングがありました。いろいろな種類の柿の葉すしを自由に取り購入する仕組みです。五條らしいと思わず微笑んでしまいました。