行基菩薩が詠んだ歌として有名なものに、「山鳥の ほろほろと鳴く 声きけば ちちかとぞ思ふ ははかとぞ思ふ」がありますが、これについでよく知られた歌は、拾遺和歌集に載っている「百くさに 八十くさ添へて 賜ひてし 乳房の報 今日ぞ我がする」だと思います。

この「百くさに・・・」の歌が、奈良県生駒市の竹林寺には「百斛(ももさか)に 八十斛(やそさか)まして 給ひてし 乳房の報ひ 今日ぞ我する」という文言で石碑に彫られています。

1、百くさ(草)、百さく、百さか(斛)

『拾遺和歌集』は1006年成立ですが、その22年前に書かれた『三宝絵』には、行基菩薩の歌が「百さくに八十さか・・・」と書いてあるそうです。

そして他の資料から「百さくに」も「百さかに」とするのが正しいとのことです(国文学者の山田孝雄著『三寶繪略注』)。

拾遺和歌集の「百くさに八十くさ・・・」はしばしば「百草に八十草・・・」と書かれることがあるため、意味がまるで分からなくなります。

しかし、山田孝雄の論の「百さかに八十さか」とすれば意味が分かります。

つまり「さか」は液体の容量を表す「斛」(「さか、こく」、ときに「さく」とも読む)であり、石と同じ10斗=100升のことだからです。 

2、百八十斛の母乳

百斛(ももさか)に 八十斛(やそさか)まして」とは100斛+80斛=180斛=18,000升のこととなりますから、歌の意味は、それほど多くの母乳、愛情、苦労で育てくれた母親の恩に報いる法要を、私は今日行うということでしょう。

3、お経に書いてある母乳百八十斛

百八十斛について調べていくうちに、『大乗本乗心地觀經』略して『心地觀經』というお経に、すべての男女は胎内にいるときに母乳を百八十斛飲むと書いてあることを知りました。このお経の内容を踏まえて行基菩薩は歌を詠んだのだと思います。

4、歌碑の建立賛助者と揮毫者

竹林寺の行基菩薩の歌碑は建立賛助者が牧野伸顕です。牧野伸顕は、明治維新の時に有名になった大久保利通の次男で親戚の牧野家の養子になった人です。

歌碑の文字を書いた人は、第247世の天台座主(比叡山延暦寺の貫主)の梅谷孝永師で、歌碑表面には「大僧正 孝永」と彫られてあります。

行基菩薩の「百斛に・・・」の歌は比叡山などで「百石讃歎」として長く引き継がれ唱えられてきたとのことですから、比叡山で伝わっていた歌の文言を揮毫したのではないかと思われます。

 
竹林寺にある行基菩薩の歌碑
歌碑の拓本
心地觀經にある母乳百八十斛