人形浄瑠璃が人気を博していた頃、お里と盲目の沢一との夫婦愛の物語『壺坂霊験記』で有名だった壷阪寺。
現在は訪れる人も少なくひっそりとしていますが、ここは視覚障害者支援など素晴らしい取り組みをしていて、現代でも「もっと知られて良い寺」だと思います。
1、壷阪寺へのアクセス
近鉄の橿原神宮前駅から吉野線で3つ目の駅が壺阪山で、そこからバスに10分ほど乗ると壷阪寺前に到着します。
なお、「壺」と「壷」は同じ文字とのことですが、近鉄の駅名は「壺阪山」、奈良交通のバス停名は「壷阪山駅前」と「壷阪寺前」、寺名は「壷阪寺」、そして人形浄瑠璃の演目は『壺坂霊験記』と文字が混在使用されています。
2、日本最初の養護盲老人ホームを設立
壷阪寺は、本尊の十一面千手観音が昔から眼病に霊験あらたかと言われていたためでしょうか、盲目の人に対する社会福祉の取り組みに尽力してきました。1951年には日本で最初の養護盲老人ホームを壷坂寺境内に設立しました。
私が壷坂寺へ伺ったとき、そのホーム「慈母園」から何人もの人の歌声が聞こえてきました。そして、庭を歩いていたお年寄りが香りを楽しむかのように花に顔を近づけていたことが、とても心に残りました。
3、ガンジーの言葉の額
壷坂寺に関して、私はお里・沢一の話しか知りませんでした。寺を拝観し始めて最初に驚いたことは、インドのマハトマ・ガンジーの言葉がその写真と共に額に入れられて置いてあったことです。言葉は「七つの社会悪」と表題がつけられたもので、節操なき政治、不労の富、徳を教えぬ教育、人間を忘れた科学など7つの社会悪が書かれていました。
4、石造りの、「釈迦一代記」のレリーフや大きな観音像
境内を歩いていて次にびっくりしたことは、大きな石造りの像が何体もあることでした。特に印象に残ったものは、レリーフの「釈迦一代記」と山腹にすっくと立つ大きな観音像です。
「釈迦一代記」は長さが50メートルはあるのではないかと思えるもので、釈迦の一生の主なシーン、例えば、釈迦が門から出て老病死などを見たという話などが石の浮彫で描かれていました。
観音像は山の中にあっても小さく見えない堂々たる大きさです。インドの石を材料にしてインドの多くの石工によって手造りされたものです。壷坂寺はインドと深い繋がりがありました。
5、故・常盤勝憲長老の福祉活動
壷坂寺の前住職であった故・常盤勝憲(ときわしょうけん)長老は種々の福祉活動に取り組みましたが、そのひとつにインドのハンセン病患者の救済活動があります。
また、インドの人の雇用拡大の意味も込めて機械を使わない手造りの石像建立をしたのでした。
常盤勝憲長老の福祉に対する熱い思いが強く伝わって来る本があります。それは『思いやりの心 広く深く』です。
壷坂寺から家へ帰ってこの本を読み、世の中の為にこんな素晴らしい取り組みをしたお坊さんがいたことを知りました。