奈良の障壁画で私の印象に強く残っているものが4つあります。拝観した順に挙げますと唐招提寺・御影堂(みえどう)の障壁画、薬師寺・大唐西域壁画殿の壁画、東大寺・本坊の襖絵、そして法隆寺・金堂の壁画です。

1、唐招提寺・御影堂の障壁画

唐招提寺の金堂の右手奥に開祖・鑑真和上の像を安置する御影堂があります。例年、御影堂は開山忌の6月5日から7日の3日間のみ一般公開され、和上像参拝と東山魁夷画伯が描いた障壁画拝観ができます(現在は御影堂が平成の大修理中のため、残念ながら障壁画は数年間拝観できません)。

鑑真和上は元々中国の高僧であり、仏教を広めるために多くの苦難を乗り越えて日本へやってきました。それを考えてのことでしょう。東山画伯は日本の海の絵と山の絵をカラーで2つの部屋に描き、中国の風光明媚な場所の絵を墨で3つの部屋に描きました。

『濤聲』(とうせい)という題がつけられた海の絵は、激しい風や波の音が耳に響いてくるように感じられる大作です。鑑真和上像の厨子が置かれている部屋の絵は和上の故郷の中国・揚州の風景画で、風にそよぐ柳が印象的です。

私が一番感動したのは厨子の内部の絵『瑞光』です。これは鑑真和上一行が遂に日本へ到着した場面、鹿児島県坊津秋目浦へ入港するところが神々しく描かれています。

2、薬師寺・大唐西域壁画殿の壁画

薬師寺は法相宗の大本山です。法相宗の始祖は慈恩大師ですが、その教えの元は慈恩大師の師の玄奘三蔵法師です。そのため、薬師寺では玄奘三蔵法師を法相宗の鼻祖として敬っています。大塔西域壁画殿の壁画は、その玄奘三蔵法師のインドへの求法の旅を描いています。描いた人は平山郁夫画伯です。

壁画は朝焼けの長安(唐の都)から始まって、砂漠や雪のヒマラヤやアフガニスタンなどを経て、月明りのナーランダ(インドの仏教学びの地)までが、一日の時間の経過と合わせて描かれています。壁画殿の中央にあるヒマラヤの絵は『西方浄土須弥山』と名付けられ、山の峰々が三尊のようです。また、『ナーランダの月』の絵を注意深く見ますと、画面の右手前方にうっすらと人物らしきものが描かれています。これは玄奘三蔵法師と、薬師寺の伽藍復興に東奔西走した高田好胤管主をイメージして平山画伯が描いたそうです。