法隆寺界隈と言えば、法起寺や法輪寺など斑鳩三塔の二寺や中宮寺がすぐ思い浮かびます。しかし今回はそれらの寺ではなく、違った雰囲気の場所を書いてみます。

旅館・大黒屋

高浜虚子の短編小説『斑鳩物語』の舞台となった旅館・大黒屋は法隆寺の東院、夢殿の南門前にありました。何十年か前、大手の新聞の土曜版だったか日曜版だったかに名作文学の舞台を訪ねるページがあり、斑鳩の大黒屋が紹介されていました。当時、旅館は大分老朽化が進んでいたと書かれていて、黒々とした建物の写真が掲載されていたように記憶しています。私は記事を見て、いつの日か『斑鳩物語』を読んでみたい、大黒屋へ一度行ってみたいと思いました。

『斑鳩物語』は既に著作権が切れていることもあり、現在はインターネットの「青空文庫」で誰でも自由に読むことができます。明治の末の時代に、斑鳩がどんな風景であったか、旅館で働いていた若い女性の活き活きした応対ぶり、法起寺の塔の上から見た情景、夜更けて聞こえてくる機織りの音と歌声など、旅への憧れをとても掻き立ててくれる小説です。

今回、文学散歩をしてみようと、初めて大黒屋の場所へ行きました。現地で最初に目に入ってきた物は、「大黒屋 有料駐車場」という看板とアスファルト舗装された駐車場でした。その隣には黒い太文字で「旅館 大黒屋」と書かれた白い三角の看板柱が立っていて、家があります。しかし旅館のようには見えません。実際の営業は現在していず、記念碑的に三角看板柱を立てているのかもしれません。小説のイメージが覆されてガッカリするという気持ちは起きず、大きな時の変化を感じて私は深い思いに浸りました。

*法隆寺界隈を歩く(2)に続く