和CAFE・布穀薗(ふこくえん)
「旅館 大黒屋」から西の方へ、法隆寺の南側の二筋目を数分歩くと「和CAFE・布穀薗」があります。大きな屋敷の長屋門がカフェになっていて、主に門の左側が一般客用、右側がグループの予約客用に使われています。室内は濃い茶色のインテリアの落ち着いた雰囲気で、ランチや喫茶、そしてスィーツが楽しめます。ランチは素麺の付いた軽いものから、鶏の竜田揚げ定食などボリューム感のあるものまであって、好みに応じて選べますし、コーヒーも美味しいです。
ここは斑鳩産業という会社が斑鳩町の「『まちあるき』を楽しくする環境づくり」を進めようとして、古民家の長屋門を改装してカフェにしました。良い店が法隆寺の近くにできて嬉しいです。
カフェの中からは庭越しに大きな母屋が眺められます。瓦葺きの大屋根は斜面の中ほどが膨らんだ高級な造りです。法隆寺や薬師寺の宮大工棟梁として有名な西岡常一の祖父の常吉が明治時代に建てたものです。布穀薗の以前の所有者は、明治維新の時に男爵となった「北畠治房」でした。コーヒーを飲みながら今度は頭の中で歴史散歩をしました。
北畠治房の旧名は平岡鳩平(きゅうへい)で、南朝の公家として有名な北畠親房の末裔を自称して北畠治房に改名しました。もともとは法隆寺に近い商家の出身で、大半の人が処刑された天誅組や天狗党に加わりながらも生き延び、戊辰戦争にも参加しました。運が良かったのでしょうか、立ち回りが上手かったのでしょうか。
維新後は司法官として今で言う高裁の裁判長などになり、男爵の爵位も与えられました。役職を離れた後、法隆寺の近くで暮らします。その時に住んだ家が布穀薗です。布穀は北畠治房の号で、鳴き声が人を呼ぶように聞こえる呼子鳥(よぶこどり)のことだそうです。呼子鳥にはいろいろ説がありますが、一般的にはカッコウと言われています。なお、これは偶然の一致なのかもしれませんが、布穀の別名として桑鳩(そうきゅう)、鳲鳩(しきゅう)があり、地名の斑鳩(いかるが)や北畠治房の旧名の鳩平の鳩の文字が共通しています。布穀の号をどういうところから付けたのか、いつか分かりたいです。
北畠治房の行いがいろいろ伝えられでいるため、人物については良く言う人と悪く言う人のどちらもがいます。私は、明治時代の歴史学者の喜田貞吉著『六十年の回顧』の「法隆寺建築年代論」のエピソードで、「治房が法隆寺の仏像をステッキで叩いた」ということを知って、これは良い人ではないなと思っています。
以前の所有者がどういう人であれ、現在その屋敷が改装され法隆寺界隈の休憩場所として多くの人に利用されていることは良いことだと思います。古く立派な母屋を見ながらコーヒーを飲み、人の生き方をしばし考えるのも、旅の充実感を増してくれます。
*法隆寺界隈を歩く(3)に続く