①飛鳥の法興寺が平城京へ移転

奈良市で近年人気の観光エリア「ならまち」の一画、正式町名は奈良市中院町(ちゅういんちょう)と言いますが、そこに元興寺(がんこうじ)はあります。飛鳥の地に日本で最初の本格寺院として建てられた法興寺(飛鳥寺)を、平城京遷都の関係で奈良に移転させた寺です。

今回、何年か振りで元興寺を訪問して、この寺の魅力を改めて認識しました。

②行基葺きの瓦屋根

奈良時代に移し建てられたもので現在遺構として残っているのは極楽堂(本堂)と禅室です。この二つの建物には、屋根の一部に移建当時の丸瓦が今も使われています。当時の瓦は、色的にも後世の修理で使われた瓦と違いが分かりますが、何よりもその特徴は行基葺きという瓦の葺き方にあります。

寺の瓦屋根は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて葺きます。通常、同じ大きさの丸瓦の上端と下端をピタリと合わせた形で並べ繋いで葺きます。丸瓦の重なる部分が凹んでいるため、真っ直ぐに繋がって見えます。しかし行基葺きの場合は、丸瓦の上端は下端より狭められた形で焼かれていて、瓦の狭い上端に広い下端を載せ、重ね合わせて屋根の上の方へと葺いていきます。そのため、丸瓦の継ぎ目に段差ができます。

この葺き方は行基菩薩が各地へ広めたためでしょうか、行基葺きと呼ばれています。

③桔梗咲く元興寺境内

夏には元興寺境内に紫色の可憐な桔梗が咲きます。浮図田(ふとでん)と呼ばれる場所に、舟形や箱形の石碑に文字や地蔵を浮き彫りしたものや五輪塔などの石塔が多数並べられているのですが、石塔の間に桔梗が花開いています。浴衣姿の若い女性が石塔にお参りしているような感じを受けました。

④見る物が多い総合収蔵庫「法輪館」 

境内にある総合収蔵庫「法輪館」の1階に国宝の五重塔があります。室内に五重塔とは驚きますが、正式名称が五重小塔という高さ5.5メートルのものです。小さいですが建造物として国宝に指定されています。室内に長期間置いてあるため、色がほとんどさめていません。

聖徳太子立像には右足部分に木製の五輪塔が入っていて、その胎内のCT画像が太子立像の側に展示してあります。胎内の五輪塔には舎利や折りたたんだ紙が入っています。仏像にはよく胎内にいろいろなものが入れられていると聞きますが、実際の立像と胎内CT画像を並べて見るのは迫力があります。

法輪館の3階には「中世庶民信仰資料」が数多く展示されています。これらは元興寺極楽坊境内から発見されたもので、元興寺が平安後期以降は庶民によって支えられたことを示しているとのことです。展示されているもので私が関心を持ったのは、木片に経文を書いた「こけら経」と、夫婦仲の改善や縁切りを願う「和合・離別祭文」、そして女性を貶めたと思う「血盆経」が書かれている紙と見える物でした。

⑤世の中への元興寺の貢献 

今回、元興寺へ行って最も勉強になったことは、先代の住職の辻村泰圓(たいえん)大和尚の存在を知ったことでした。元興寺中興の祖の一人と呼ばれています。泰圓大和尚は奈良県生駒市の宝山寺で福祉事業を始めた人であり、元興寺に来てからは伽藍の修理や境内の発掘を行い、発見された「中世庶民信仰資料」などを保存展示しました。

驚くべきことは、民間で唯一の文化財研究所である「元興寺文化財研究所」を作り、元興寺で出てきたものだけでなく各地の文化財の調査や保存などの仕事を行っているのです。かつて手掛けた仕事として、大阪の古墳から出土した古代の橇(そり)ともいうべき修羅(しゅら)の保存や、出雲大社の心御柱のクリーニングなどが紹介されていました。