①七堂伽藍
松尾芭蕉の俳句に「奈良七重 七堂伽藍 八重ざくら」というものがあります。七堂伽藍とは寺院の主な建物をまとめて言う言葉で、宗派によって多少の違いがありますが、一般には塔、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊、食堂の7つを指します。
そしてこれらの主要建造物が境内にどういう位置関係で建てられているかを伽藍配置と言いますが、寺によって伽藍配置は違っています。
なお、塔とは、インドのサンスクリット語の「ストゥーパ」(釈迦の遺骨を祀った墓の意味)から来ています。ストゥーパが、漢訳される時にその音から漢字で卒塔婆となり、卒塔婆から塔になりました。
②主な寺の伽藍配置
飛鳥時代や奈良時代に建てられた有名寺院の伽藍配置を見てみます。七堂伽藍のうち、塔、金堂、講堂の位置関係が特に重要です。
大阪の四天王寺は、中門、塔、金堂、講堂が南北に一直線上に配置されていて、四天王寺式の伽藍配置と呼ばれています。
奈良県明日香村の飛鳥寺は、塔を中心に東金堂、中金堂、西金堂の3つの金堂が周りに建つ「一塔三金堂方式」です。これは高句麗の方式であり、飛鳥寺が高句麗の工人によって建設されたためと言われています。
奈良県斑鳩町の法隆寺は、中門からの回廊に囲まれて塔が西に、金堂が東に建っています。
奈良市の薬師寺は、中門からの回廊に囲まれて、中門、金堂、講堂が一直線上に並び、東塔と西塔の2つが金堂前の両脇に建っています。
③伽藍配置の変化
上記の四天王寺から薬師寺、そしてそれ以降の興福寺、東大寺までの伽藍配置を一覧にしてみますと、2つの変化に気付きます。
変化の1つめは、はじめは塔(仏舎利を安置)が伽藍の中心だったが、次第に本尊をまつる金堂が伽藍の中心的存在になったことです。これは釈迦中心の仏教から釈迦の説いた教えを中心にした仏教への変化を表しています。肉舎利尊重から法舎利尊重への意識変化があったということでしょう。
変化の2つめは、はじめ塔は1つだったが、やがて2つになっていったことです。その理由として次の2点が言われています。
・1つの寺に塔が複数あっても良いということが、唐から伝えられた。
・左右対称の形を美しい姿とする道教の考え方が入ってきた。
④法華経法師品(ほっしほん)に書かれている文章
伽藍変化の1つめで書いた「伽藍の中心が塔から金堂へ変化」に関して、お経の『法華経』の「法師品」という章に、次のような文章がありました。
「経巻を置く所は、(立派な建物にしなさい)。
そこには仏の遺骨を置く必要はない。
その理由は、経巻の中には既に如来の全身があるからである。」
非常に重要視された法華経でこのように述べているのですから、尊重意識が肉舎利から法舎利へ移って行くのが理解できます。そして、確かに仏の遺骨よりも仏の法、教えの方が大切であるという考えの方が、私にも納得がいきます。教えに釈迦の思いのすべてが入っているのだと思いますから。