①箸墓古墳から井寺池へ
にゅうめん定食を食べた後、いよいよ「山の辺の道」に向かって歩き出しました。
箸墓古墳の横を通り、巻向川を渡って、ひとしきり人家の間の道を行きます。
急に視界が開け、道端にはお地蔵さんが建っていて、稲田があり、その 向こうに青空をバックにした三輪山が見えます。
歴史街道の道路標識に従って急な坂を登ると、あたりは柿の木の林で、朱色の柿の実がたわわに付いています。
いくつかの柿の実が地面に落ち、つぶれているのが自然を感じさせてくれ、最近はまったくこういう景色を見なくなったなと思いました。
②井寺池のほとりの歌碑と眺望
坂を登り切り、道を横に折れて行くと、二つに分かれた池がありました。井寺池です。池のほとりには川端康成の揮毫した歌碑があります。高さがあまり ないため、地面にくっついた様に見える石碑です。歌は古事記に載っている倭 建命(やまとたけるのみこと)の「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ご もれる 大和し 美し」です。
歌碑のある場所に立ち、西の方に目をやると、大和盆地が開け耳成山や畝傍 山、そして遠くに二上山や葛城山などが見えます。川端康成はこの場所がとて も気に入って、ここに歌碑を建てることを望んだのです。
なお、川端康成は歌碑が建てられる前に自殺しました。そのため、歌碑の文 字は、川端康成のペンで書かれた原稿の文字を一つずつ集めて拡大し、彫られ たとのことです。
川端康成の歌碑から少し離れたところには、川端と非常に仲の良かった画家 の東山魁夷が揮毫した歌碑が建っています。
こちらは万葉集に載っている天智天皇の有名な恋争いの歌です。
③檜原神社
井寺池から徒歩数分で檜原神社に着きます。檜原神社は、天照大御神が伊勢 神宮に祀られる前にこの地で祀られていたと言われているところです。そのた め元伊勢神社とも呼ばれています。
檜原神社で素晴らしいのは、神社の境内から鳥居を通して見る景色です。一 本の道が西へと延びていて、遠くに二上山が見えます。春と秋のお彼岸の時に は太陽が二上山の二つの頂の間に沈むそうです。次回はお彼岸に来てみようと 思いました。
④山の辺の道
檜原神社から南に道を行きますと、木々の中を細い土の道が曲がりながら延 びています。
道の傍らには「山邊道」と文字が彫られた石の道標が立っていて、古代の道を歩いている感じが高まってきます。
道標の文字は文芸評論家の小林秀雄の手に成るもので、「辺」の旧字の「邊 」が、こった草書体で書かれています。
一見すると「鳥」に「しんにゅう」が書かれているように見えますが、やはり紛れもなく「山邊道」です。後で調べ て分かったことですが、これと同じような「邊」の文字を、書の大家の小野道風(おののとうふう)が書いているようです。