① 三輪山の登拝口は狭井神社
大和国一ノ宮の大神神社(おおみわじんじゃ)のご神体である三輪山へ登ってみようと思いました。神の山であるため、登山と言わずに登拝(とはい)と言うようです。三輪山へは大神神社から徒歩約5分の摂社・狭井神社(さいじんじゃ)に唯一の登拝口があるので、狭井神社に向かいました。
狭井神社の鳥居をくぐって直ぐ、左手に池があり、そのほとりに「清明」と書かれた石碑がありました。一瞬、ここは安倍清明に関係する神社だったのかと思いましたが、清明の文字の脇に三島由紀夫と書いてあります。隣の説明版には三島由紀夫が狭井神社に参籠して三輪山へ登拝し、その時の感想を「清明」という言葉に表したことが記されていました。
かつて読んだ、三島由紀夫の小説『豊饒の海』の第2巻『奔馬』に出てくる、夜の大神神社境内のシーンが脳裏に蘇ってきました。
②狭井神社で登拝申し込み
狭井神社の社務所で名前と緊急連絡の電話番号などを書いて登拝の申し込みをしました。入山の注意事項と登拝道の地図が記された紙、そして三輪山参拝証と書かれた白いたすきが渡されます。注意書きによれば、登下山に要する時間は普通2~3時間、下山は午後4時までに完了要、山中での飲食禁止、写真撮影禁止とのことです。また、手洗所もないと教えられました。いよいよ神の山に登るのだなという気持ちが強くなってきました。
③登拝道はかなりハード
準備万端整え、登拝口にて御幣でお祓いをし、傍らに備え付けられていた長い竹の棒の杖を一本借用して、三輪山を登り始めました。幅が1メートル弱の登拝道は大分整備されている方ですが、そこは山道、石があったり、地面のへこみがあったり、歩きづらいところも多いです。坂道や階段が続き、行程はかなりハードです。
汗をかきながら登り、もう大分来ただろうと思っていたら、「標柱①丸太橋」と書いてある丸い柱が目に入りました。「え、まだ十分の一?これは大変。2時間で往復はとても無理だ」と思いました。標柱には「緊急時 所在確認 標柱」の文字と連絡先の電話番号が書かれていますから、体力的にきつくなって救援を求めるための物でもあるようです。私が登拝の道を登っては休み、登っては休みしていたら、後ろから来た若い女性の三人連れが私を追い抜いていきました。
登っていくうちに気が付いたのですが、地図の標柱は必ずしも距離で等分されていないようです。2つの標柱の間がそれほど長くなくて終わってしまうところがありました。また、地図を再度見てみると標柱は9までしかありません。あくまで標柱1から9は目印のようです。
登拝道からの見晴らしは良くありません。道は自然林の中にあって、視界の開けたところがないのです。途中「こもれび坂」という場所もあるのですが、こちらも木漏れ日が射しているだけで、三輪山の麓や遠方の山々が見えるわけではありませんでした。