①雪の石舞台

奈良は雪がほとんど降らない県ですが、今年(2018年)の冬は非常に寒く、めずらしく雪が積もりました。北陸地方などが大変な雪害を被っていることに胸を痛めながら、冬の明日香村を取材に行きました。

石舞台は飛鳥時代の豪族である蘇我馬子の墓と一般に言われている古墳です。巨大な石が積み上げられ、平地にむき出しになっています。その下の地中にはこれまた大きな石で古墳の石室が造られています。地上の巨石は石室の上を覆っている蓋のようなものですが、見る角度によって人が横たわっている姿のように感じられます。

今回はその巨石にうっすらと雪が積もっています。古墳の主と推定されている蘇我馬子は日本の黎明期に生きた政治家で、崇峻天皇の殺害を指示したとも言われていますが、真実はどうなのでしょう。冷たい雪の中に横たわる「石像」が、一時、雲の切れ間から射してくる陽の光りに輝いていました。

②雪の橘寺

雪をかぶった畑の向こうに聖徳太子が建てたと言われる橘寺が見えます。白い土塀が横に長く続き、その上に本堂その他の伽藍の屋根があります。整然とした情景を眺めながら歩いて行き、西の門から境内に入りました。

靴を脱いで本堂に上がると、正面に鏡が置いてあります。神社によくある神鏡です。なぜ寺院に神社のご神体である神鏡があるのか不思議です。明治の時に、神鏡を置いて橘寺は神社でもあると言い、廃仏毀釈をまぬがれたとの話を人から聞いたことがありますが、本当の話かどうか分かりません。聖徳太子が日本古来の神道と大陸から伝わった仏教の両方を大切にした表れなのだろうかとも思いました。

神鏡の後方にある厨子のところへ行き、中を仰ぎ見ても本尊は良く見えません。厨子の開いているところに薄い板の桟のようなものがあって、中を見えなくしているのです。「聖徳太子 勝鬘経講讃像」とのことなので、是非しっかり拝観したいと思い、背筋を伸ばし桟の隙間から厨子の中を覗きこみました。像は目がすっきりし、頬がふっくらして、凛々しさと優しさを感じさせるものでした。良い像だなと思いました。

③明日香村の街並みと「カフェことだま」

聖徳太子がこの橘寺で勝鬘経を推古天皇などに説明したと『日本書紀』には書いてあります。

昼食は明日香村でよく知られた「カフェことだま」で食べようと思い、橘寺から明日香村役場の前を通って村岡地区へ行きました。村岡地区は、短い距離ですが道路沿いが綺麗に整備されてきています。いくつかの家の玄関口には、小柄な人の背丈ほどの台灯篭が設置され、万葉集の歌が書かれています。

「カフェことだま」は古民家を改装した店で、雪が時折降る寒い日ですが、お客さんが次々と入って来ます。食事はお決まりのランチ一種類なのですが、リーズナブルでデザートやコーヒーも付いているため、特に女性に人気のようです。