①行基菩薩

行基は奈良時代の高僧です。民衆に仏教を広め、溜池や橋を造って地域開発をし、困窮者救済などの社会事業を行いました。

行基の布教・社会活動が不穏な活動だとして、時の政権から活動を禁じられました。

その後、政権は東大寺大仏造立に行基集団の力を活用しようと、行基を大仏造立の実質責任者に任命します。行基も大仏造立に協力することで布教を活発化させます。

行基は大仏造立中に死去し、朝廷より菩薩の号を贈られました。

②東大寺

近鉄奈良駅前には行基菩薩の像が建っています。像は東大寺のある方向を見ています。

大仏の造立にあたって、聖武天皇や行基は多くの人へ協力と仏への結縁を呼びかけました。

「一枝の草、一把(ひとにぎり)の土(ひじ)」の寄進をという大仏造立の詔の言葉は、金持ちの一人の寄進より、多くの人の少財の集積の方が、価値があるという仏教の教えから出たものでしょう。

75歳という高齢で責任者となり大仏造立に尽力した行基を祀る行基堂が東大寺の鐘楼の近くにあります。

③喜光寺(菅原寺)

喜光寺(きこうじ)は奈良市菅原町にある寺で、創建当時は菅原寺と呼ばれていました。

行基が建てた49の寺院のひとつで、ここを拠点に大仏造立に取り組みました。

行基が死去した寺として有名です。現在、喜光寺には行基堂が建てられ、中には重要文化財の行基菩薩坐像を模刻した像が安置されています。

なお、喜光寺は現在、「いろは写経」といって、一般に行われている般若心経の写経ではなく、「いろはにほへと・・・」の48文字の写経をしています。

④生駒市の竹林寺

行基は社会事業などに取り組む前、生駒山の東麓の草庵「生馬(いこま)仙房」で経典の研究をしながら、老いた母親に孝養を尽くしました。

そして行基が死去する時、遺言で母の眠る生馬仙房に埋葬してくれるよう頼みます。この生馬仙房が現在の竹林寺です。

竹林寺には行基の墓があり、境内には行基が母の恩に感謝して詠んだ歌の石碑が建っています。なお、ここは現在お坊さんが住んでいない寺です。

⑤行基と関係のある、その他の奈良の寺

上記の他にも行基と関係のある奈良の寺はいくつもありますが、興味深いものを3つ挙げておきます。

1つめは奈良市西ノ京の薬師寺です。「法相血脈系図」という法相宗の教えを引き継いできた人の図によれば、行基は薬師寺の初代の住職である道昭(どうしょう)の弟子と書かれています。

2つめが奈良市中町の富雄川沿いにある霊山寺(りょうせんじ)です。行基は、東大寺大仏開眼の導師となった菩提僊那(ぼだいせんな)とともに霊山寺の開基となっています。

3つめは奈良市西ノ京の唐招提寺です。ここは現在、生駒市の竹林寺の本山となっている関係で、無住の竹林寺の重要文化財である行基菩薩坐像を預かり、新宝蔵で展示しています。

行基に関係した奈良の寺々を訪れていくと、遠い昔に母を思い、民を思い、国を思って懸命に生きた人の素晴らしさが胸に迫ってきます。