①薬と言えば、富山が有名ですが

薬を日本全国へ売っていた県と言えば「越中富山の置き薬」の富山県が有名ですが、日本には他にも薬を各地に売っていたところとして、滋賀県・佐賀県そして奈良県があります。これら四県の薬は「四大売薬」と呼ばれていました。

四大売薬はそれぞれ発展の歴史が異なります。奈良県の売薬は古代の薬猟(くすりがり)に起源がありました。

滋養強壮に良いという若鹿の角を求めて男性が鹿狩りをし、種々の効用が知られていた薬草を女性が摘むというものです。

その後、修験者(山伏)などによって大和の薬が使われ、南北朝の争いによって荒廃した寺を復興させる資金獲得のために売薬に努力したと言われています。

②奈良県大宇陀と薬

奈良県東部の宇陀市には大宇陀という場所がありますが、この辺りは古代に菟田野(うだのの)と呼ばれていたようです。『日本書紀』には推古19年(611年)に菟田野で薬猟を行ったということが書いてあり、大宇陀は昔から薬と大いに関係した所であったようです。

大宇陀の松山重要伝統的建造物群保存地区は古い建物が多く趣のある街並みで散策が楽しめます。

ここに「森野旧薬園」と大宇陀歴史文化館「薬の館」(旧細川家住宅)という薬関係の2つの施設があります。

「森野旧薬園」は、江戸時代に幕府の役人と一緒に薬草の採取や調査を行った森野家の当主が開いた民間の薬草園です。

現在も小高い丘に多くの薬草が植えられていて見学できます。

「薬の館」は、薬問屋だった細川家の建物を市の歴史文化館にしたもので、昔からの薬の大看板が目印となっています。

中には薬の名前が書かれたブリキ銘板や種々の薬の資料が展示されています。

なお、製薬会社として現在私たちに馴染みの深い、ロート製薬、ツムラ、笹岡薬品の創業者は、古くから薬と深い関係にあった宇陀市の出身です。

また、「薬の館」の細川家から藤沢家の養子になった人が、藤沢薬品(現在、山之内製薬と合併してアステラス製薬)を起こしています。

③奈良県御所市の三光丸クスリ資料館

近鉄吉野線は吉野行きの各駅停車の電車に乗って橿原神宮前駅を出ると、駅が岡寺、飛鳥、壺阪山、市尾と続きます。岡寺駅と飛鳥駅は明日香村観光の拠点であり、壺阪山駅は眼病に霊験あらたかと言われている壷阪寺への最寄り駅です。

私は無人駅の市尾で下車して、手にした地図を見ながら田舎道を20分ほど歩き、御所市(ごせし)の「三光丸クスリ資料館」へ行きました。

ここは株式会社三光丸が会社の敷地内に造ったミュージアムで、開館は主に平日で、休日はほぼ閉まっています。このミュージアムは展示内容が充実していて、日本における漢方薬の歴史、万葉集に歌われた薬草、お屠蘇など薬と関係した季節の風習、薬草のイラストや実物、薬の製法と販売方法などがよく分かります。

詳しいパネル説明や長年使用されてきた道具などの陳列が素晴らしいです。

三光丸クスリ資料館のある御所市や、その近くの壷阪寺のある高取町などでは、製薬会社の看板をあちこちで見かけます。

この辺りも昔から薬を作り、全国に販売してきた地域なのです。