①澤田瞳子著の本『龍華記』

興福寺中金堂再建の落慶を記念して、株式会社KADOKAWAから本『龍華記』が出版されました。

著者は飛鳥や奈良時代その他幅広い時代の歴史小説を書いている澤田瞳子氏です。

本の内容は平安末期の平重衡(たいらのしげひら 平清盛の五男)の南都(奈良)焼討と、焼討後の興福寺の伽藍復興などを描いたものです。

タイトルの龍華記とは、五重塔が劫火に包まれ、各層から噴き出た焔が龍の鱗の如く見えたこと、および燃え落ちた物が下草に燃え移って紅の花が咲く情景から付けたものと思われます。

戦の場面や大火災のシーンの極限状況を澤田瞳子氏は迫力ある筆致で描いています。

小説のテーマは、釈迦が法句経(ほっくきょう)で教えている「怨みは、怨みで息(や)むことはない」です。

南都焼討の引き金を自分が引いたと悩む範長(はんちょう)という人物が主人公で、仏教や僧はどうあるべきなのかと模索していきます。

②『龍華記』はフィクション

巻末に著者の澤田瞳子氏が書いているように『龍華記』はフィクションです。

南都焼討という歴史事件を題材にした小説ですが、歴史事実と異なることも書いてあるので、読むときには注意が必要です。

小説を事実と思ってしまってはいけないからです。

この本で事実と異なる最大の事項は、山田寺にあった薬師如来像の興福寺東金堂への移設に関しての経緯です。

本では、山田寺を襲ってきた興福寺の悪僧(僧兵の当時の呼び方)達に対して、「怨みは、怨みで息(や)むことはない」との考えから、山田寺に寄住していた範長と山田寺住職が本尊の薬師如来像を渡します。

しかし歴史事実は、興福寺の悪僧達が山田寺から像を勝手に奪い取っていったのです。

このことは当時の藤原一族のトップであった九条兼実の日記『玉葉』に書かれています。

なお、興福寺は藤原氏の氏寺であり、『玉葉』は歴史資料として非常に信用度の高いものです。

③山田寺の薬師如来像の現在

山田寺の薬師如来像はその後、数奇な運命をたどり、現在は頭部のみが興福寺の国宝館に安置されています。

文化庁の「国指定文化財等データベース」(2018年11月10日検索)に『銅造仏頭(旧山田寺講堂本尊)』という名称で国宝登録されているものです。

なお、書家であり詩人でもある相田みつを氏がこの仏頭について詩を書いています。

本『にんげんだもの』に掲載されているその詩の題名は「こんな顔で」で、「山田寺の仏頭によせて」という言葉が添えてあります。胸にジーンとくる詩です。

写真
本『龍華記』
山田寺から興福寺へ移された仏像(1)
山田寺から興福寺へ移された仏像(2)
山田寺仏頭の数奇な運命