①稗田環濠集落
大和郡山市には稗田環濠集落(ひえだかんごうしゅうらく)があります。
環濠集落とは周囲に濠をめぐらした集落で、その造り方は稲作と一緒に大陸からもたらされたものです。
集落は当初、居住範囲と耕作範囲の分離のために作られたようですが、やがて防衛と灌漑用水の確保等のために環濠集落化していきました。
環濠集落について私は高校時代に話を聞いた記憶がありますが、これまで実際の集落を見たことがありませんでした。
初訪問での印象は、「よくこれだけ幅のある堀が広い地域を囲っているなぁ」というものでした。濠の幅は約10メートル、堀の深さは2~3メートルあるとのことです。
そして濠で囲まれた集落の大きさは、東西、南北ともに約260メートルもあります。
集落の中には大きな大和棟の建物があり、道は城下町のように狭く入り組んでいました。
中世には、自衛のために現在のような形がほぼ出来上がっていたと言われています。
稗田環濠集落は水辺のゆったりした景観とバックの穏やかな農村風景があり、歩いていて気持ちが落ち着きました。
そして防衛拠点だった姿に出会った時、歴史を旅している感じになりました。訪問して良かったです。
②賣太神社
稗田環濠集落には賣太神社(めたじんじゃ)があります。
賣太神社とはあまり聞き慣れない名前ですが、主斎(祭)神がヒエダノアレと知って、「あの『古事記』の内容を暗唱していた稗田阿礼(ひえだのあれ)か!」、と目を見張りました。
それまで、環濠集落の稗田と、古事記編纂の稗田阿礼が、私の頭の中で結びついていなかったのです。
この地域は古代に稗田一族の本拠地であり、阿礼もここから出たのだろうと言われています。
賣太神社の境内には高さのある石碑「かたりべの碑」が建っていて、稗田阿礼の神社であることを主張していました。