①奈良市の繁華街にある伝香寺
伝香寺は奈良市の市街地の中心部にある寺です。三条本町の交差点にある奈良市観光センターから南へ徒歩2~3分で着けます。
私はそこに伝香寺があること、および現在の住職が唐招提寺の管長であることは知っていたのですが、これまでに拝観したことはありませんでした。
今回、寺のお地蔵さんの着せ替え法要があることを知り、初めて参拝しました。
何も予備知識を持たずに訪問した為、見方が浅かったですが新鮮な驚きも多くありました。
②伝香寺は筒井氏の菩提寺
寺の拝観受付は大通りの「やすらぎの道」からちょっと西に入ったところにありました。
境内の入口は北門です。最初に、門に掲示されていた文言「筒井氏総菩提所」に驚きました。
奈良で、大和で筒井氏といえば、あの「洞ヶ峠を極(き)め込む」の伝説で有名な筒井順慶の一族に違いありません。
境内に入ってすぐ、大きな五輪塔が目に入りました。その塔の石には「筒井氏 供養塔」と彫られています。
そして五輪塔の近くのお堂の前には説明版があって、筒井順慶法印は洞ヶ峠へ行っていない旨のことが書いてあります。
筒井氏の同族の方が、先祖の不名誉な噂、つまり「日和見主義の代名詞的な言われ方」を必死に打ち消そうとしているのでしょう。
なお、私が学生の頃には「山崎の合戦で筒井順慶が洞ヶ峠を極め込んだ」ことは歴史的事実だと本に書いてあったように記憶していますが、最近の辞書では、それは誤伝であると明記されていました。
③本堂前の広場は幼稚園の運動場と一体
伝香寺には奈良の三名椿の一つがありましたが、夏は当然のことながら花が咲いていませんので素通りしました。
本堂前の広場は隣の幼稚園の運動場と一体になっていて、園児たちが大声を出して遊び回っています。
伝香寺が運営している幼稚園なのかもしれません。
運動場にはやぐらが組まれていて、ちょうちんが列をなしてぶら下げられています。法要の後には盆踊りが行なわれるようです。
本堂は狭く、今日のお地蔵さんの衣の着せ替え法要を拝観に来た人で一杯です。
靴を脱いで地面から一メートルほどの高さの本堂へ上がりました。非常に狭い階段で足を横にして登らないと登れない代物です。
なんとか、本堂の縁側に空きスペースを見つけ、座ることが出来ました。
④開基は唐僧の思詫律師との伝承
法要が始まるまでに時間があるため、拝観受付の窓口でもらった「南都 傳香寺 参拝の栞」を見ました。
すると、そこには冒頭に「唐僧思託律師開創 實圓寺舊蹟 趙樸初敬書」と書かれた物の写真が載っていたのです。
私は吃驚しました。
思託(詫)律師とは唐招提寺開祖の鑑真和上に付いて中国から日本へ来た高弟です。
趙樸初氏は昭和時代の頃の中国仏教教会会長で、国宝の鑑真和上坐像の中国への里帰りに貢献した方です。
伝香寺は、奈良時代に思詫(したく)律師が庵を建て、実円寺と名付けたことに始まりがあったと言われています。
そして、戦国時代に筒井順慶のお母さんが息子の菩提を弔うために、実円寺を再興して伝香寺と号したとのことです。
⑤お地蔵さんの衣の着せ替え
本堂の正面には、本尊の釈迦如来坐像の前に着物を着た地蔵菩薩立像が安置されています。
丸顔のお地蔵さんで、薄緑の美しい衣をまとい橙色の色鮮やかな袈裟を肩にかけています。お経が唱えられ、お地蔵さんの衣の着せ替えが始まりました。
お坊さんが三人がかりでお地蔵さんの錫杖を手から外したり袈裟を取ったりしていきます。薄緑の衣を脱がされると白い肌着姿となり、やがて木造の裸の胸が見えました。
読経と共に幼稚園の運動場で遊び騒ぐ子供たちの声が聞え、子ども好きのお地蔵さんの法要らしい微笑ましい雰囲気です。
新しい衣が着せられ始めました。自分で衣を着るのは容易くても、お地蔵さんに衣を着せるのはなかなか難しそうです。
それでも何とか無事着せ替えができました。今度の衣は橙色で袈裟は黄色です。美しい衣姿のお地蔵さんに見惚れました。