① 最初は耳成山に登りました
大和三山。そう聞いただけで古代のロマンを感じる耳成山、天香久山、畝傍山の三つの山です。
私はいつもそれらの山を眺めるだけで、登ったことがありませんでした。
今回、しんどかったら二山でも一山でも登って途中で止めても良いや、という気持ちで出かけました。
近鉄八木駅から橿原市街を耳成山の麓まで歩き、山口神社への参道を通って山頂まで登りました。
登りましたが、木々に囲まれて見晴らしが全く良くありません。
山頂で大和盆地と他の二山を眺め、三山の恋争いの歌の雰囲気を楽しもうと思っていたのですが、それはかないませんでした。
足元に山頂の三角点の石碑がありました。
考えてみれば、標高約140メートルの低い山で、人工的に見晴らし台を作っているわけでもないですから、木々しか見えないのはやむを得ないのでした。
山頂から少し南に下ったところに僅かだけ木々の梢が切れていて、麓の家並と丘のような天香久山、そして遠くにもう少し高い山々が見えました。
② 藤原京跡に咲く遅い曼珠沙華
今年は夏に雨が多かったためでしょうか、曼珠沙華の咲くのがとても遅かったです。
耳成山を下りて藤原京跡に来ると、曼珠沙華、別名彼岸花が彼岸を遠く過ぎても咲いていました。
広々とした緑の野原に列をなして真っ赤な花があり、向こうには先ほど登ってきた耳成山が見えます。
目を西へ転じると、こちらは満開の曼珠沙華だけでなく秋桜(コスモス)が咲き始めています。
白や、紫や、ピンクなど色とりどりの可憐な花です。その先には畝傍山の姿がありました。
昔、大和三山を三方に見るところに藤原京が造られただけに、藤原京跡の野原に腰を下ろして周囲を見渡すのはとても気持ち良いです。
③天香久山は途中で通行禁止に
次に天香久山を登りに行きました。
天香久山は登り始めてすぐ、結構きつい坂がありました。
急坂を登って振り返ると、北西方向に耳成山、その先に矢田丘陵と生駒山が見えます。
途中何度か立ち止まり、時間をかけてなんとか登っていきました。
やがて太い樹が切り倒されていて、立木と立木の間に幅広の布テープが張られているところに来ました。
布テープには「立入禁止」と書いてあります。
スズメバチがいるとの掲示がされていました。
苦労して登ってきて、山頂へは行けないのかという残念な気持ちと、この先登らなくてよいのだというホッとした気持ちが交錯しました。
④小さかった天岩戸神社
天香久山の登頂を半ば喜んで諦め、登ってきた時とは違う道で下山しました。
麓にある天岩戸(あまのいわと)神社へ行くルートです。
天岩戸は天照大神が隠れたと言われるくらいですから、どれくらい大きいものだろうかと思って行きました。
拝殿があって、その脇を回って行くと奥にはご神体の複数の岩が見えたのですが、驚くほど小さかったです。
岩々の傍に生えている落ち着いた緑色の竹と、岩の前の鄙びた門のようなものが印象に残りました。
門のようなものは真ん中の屋根が高くなっていて、山の辺の道沿いの大神神社や檜原神社にある、三つの鳥居が一つになった「三つ鳥居」に似ているように思えたのです。
近くでまじまじと見ることはできなかったので推測するしかありませんでした。
⑤きれいな小山の里の風景
天岩戸神社から本薬師寺(もとやくしじ)跡へ行く途中に明日香村の小山の里があります。
天岩戸神社や本薬師寺跡がある橿原市の行政区域に、隣接する明日香村が出張っている形です。
この小山の里に素晴らしい風景がありました。
真っ赤な曼珠沙華があざやかに咲き、民家の落ち着いた瓦屋根の連なりと一方で競い合い、一方で一体になって、絵のような景色を見せていたのです。
⑥本薬師寺跡のオテイアオイ
本薬師寺跡は近鉄畝傍御陵前駅から東へ徒歩約10分のところにあります。
今回は東の天岩戸神社から西に向かって歩き、本薬師寺跡へ行きました。
ここは、奈良の西ノ京にある薬師寺が元あった場所で、都が平城京へ移るときに薬師寺も奈良へ移されたため、本(もと)の薬師寺の跡と言われているのです。
本薬師寺跡には現在、伽藍の礎石などが残っているのですが、近年人気なのはその敷地に植えられて咲く水草のホテイアオイの花です。
畝傍山をバックに紫色の花が一面に咲く情景は圧巻です。
また、アップで見ても、その花は清楚で高貴な感じがして美しいです。
⑦畝傍山は次回に
ホテイアオイの写真を撮って、その後また歩き出しました。
大和三山の三つ目の畝傍山に登りたい気持ちはあったのですが、あまり無理をし過ぎると身体に良くないと思い、今日は二山のみの登りで止めることにしました。
畝傍山は日を改めて登る積りです。