動画(ユーチューブ)で配信しています。

① スタート地点はJR柳本駅

「山の辺の道」は大和の古代道路のひとつで、奈良盆地の東に連なる山の麓を縫うように続いています。

奈良県桜井市の海石榴市(つばいち)から天理市の石上(いそのかみ)神宮までの南コースと、石上神宮から奈良市の新薬師寺までの北コースがあり、両方合わせると約35キロメートルの行程です。

今回は南コースの北半分、長岳寺(ちょうがくじ)から石上神宮までを歩こうと出かけました。

スタート地点はJR万葉まほろば線(桜井線)の柳本駅で、まずは東の低い山並み、いわゆる大和青垣に向かって歩いて行きます。

途中、左手に黒塚古墳があります。33面もの鏡(三角縁神獣鏡)が出たところです。

長岳寺は少し前に来ているので、今回は立ち寄らず「山の辺の道」を歩き始めました。

② 「衾道を・・・」の柿本人麻呂の歌碑

今回、ぜひ見てみたいと思っていたのが、山の辺の道沿いにある柿本人麻呂の「衾道(ふすまぢ)を・・・」の歌碑です。

歌の全文は「衾道(ふすまぢ)を 引手(ひきて)の山に 妹(いも)を置きて 山路(やまぢ)を行けば 生(い)けりともなし」です。

かつて明日香村にある奈良県立万葉文化館で万葉集に関する日本画展をしており、その際にこの柿本人麻呂の歌の絵を観て、歌と絵から非常な悲しさを感じたのです。

亡くなった最愛の奥さんを風葬のために山中に置いて来る。その時の切なさ、悲しさ・・・。確か晩秋の風景だったように記憶します。

それで、歌碑を見て、歌の心に深く触れ、しっかり周囲の雰囲気を感じてこようと思ったのです。

現地の石碑は歌が万葉仮名で彫られていました。「衾道乎 引手乃山尓 妹乎置而 山徑往者 生跡毛無」です。

万葉学者の犬養孝氏の揮毫(きごう)です。碑は横幅が2メートルはあるかと思われる大きなもので、緑がかった灰色をしています。

その中に元々の石の色なのか水が垂れたように黒いところがかなり混ざっています。捉えようによっては滂沱(ぼうだ)の涙とも見えました。

一方、周囲の雰囲気は好天のためにとても明るいものでした。青空が広がり、山が見え、近くでは稲を刈っています。

そこには穏やかで幸せな生活があり、人麻呂の歌碑の世界と対照的でした。

人麻呂の歌碑があるところから山の辺の道を北へ少し歩き、右に折れて畦道を進んでいくと手白香皇女(たしらかのひめみこ)衾田陵(ふすまだりょう)があります。

現在、歴史的には年代が合わないとのことで手白香皇女の墳墓ではないと言われているものですが、衾田陵があったり、「衾道を・・・」の歌があったりということを考えると、このあたりは間違いなく古代に亡骸を葬る場所だったのでしょう。

なお手白香皇女は、越前の国から大和へ入って大和王権をまとめたと言われる継体天皇の皇后となった人です。

③萱生・竹之内環濠集落

手白香皇女衾田陵から山の辺の道に戻ってさらに北へ進んでいくと、萱生(かよう)および竹之内の環濠集落があります。

環濠集落は中世に作られた自衛の集落で、周りを堀で囲っています。

萱生では集落の建物が堀の水と共に凛とした美しさを見せていました。

④藁葺屋根の夜都伎神社

夜都伎(やとぎ)神社は奈良市にある春日大社と関係の深い神社で、明治維新までは本殿や鳥居を春日大社から譲り受けていたそうです。

この神社の魅力的なところは藁葺(わらぶき)の拝殿です。藁で厚く葺かれた屋根はふっくらとして温かみを感じさせてくれます。

また、拝殿の脇を回って奥へ行けば、厳かな朱色の本殿が臨まれます。

写真
山の辺の道(長岳寺~石上神宮)の概略地図
黒塚古墳
山の辺の道からの眺め
人麻呂の衾道の歌碑
手白香皇女衾田陵
凛とした萱生環濠集落
藁葺の夜都伎神社拝殿
夜都伎神社本殿