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①内山永久寺跡

休憩場所として手頃な天理観光農園で昼食を食べ、元気を回復して再び歩き出しました。

かなり急な坂道を上り、やがて道の両側に沢山の柿がなっているのを見ながらダラダラと下っていくと内山永久寺跡に着きました。

永久寺は室町時代や江戸時代には多くの伽藍があって、東大寺、興福寺、法隆寺に続く大寺だったそうですが、明治維新の廃仏毀釈で廃寺となりました。

廃仏毀釈では多くの寺が大きな被害を受けましたが、永久寺ほど建物が壊され、寺宝が散逸したところは少ないと言われています。

永久寺跡の説明版を読み、周囲を見ると、今は寺の跡地にビニールハウスが建ち、畑で野菜が作られています。

そして本堂池というかつての浄土式庭園のなごりの池がひっそりと水をたたえています。

どうして、ここまで徹底的に潰されてしまったのか。廃仏毀釈時の寺の僧侶に原因があったのか、はたまた寺と周囲の人達との関係が長年良くなかったのか、いろいろ考えさせられてしまいました。

寺が隆盛を誇っていた時、若き芭蕉がここを訪れて華やかに咲く桜を句に詠んでいます。

「うち山や とざましらずの 花ざかり」。

芭蕉はそのとき全く思いもしなかったでしょうが、私には“よその土地の人は知るよしもない”という言葉が現在の忘れ去られた永久寺の姿に重なって感じられました。

②石上神宮

石上神宮は武門の一族である物部氏の氏神で古くからある神社です。

あの刃先が7つある国宝の七支刀(しちしとう)はこの神社の宝物です。

朱塗りの回廊と二層の楼門が美しい石上神宮ですが、今回ちょっと気に入った写真が撮れました。

それは、境内に放し飼いされている神鶏と手を浄める参拝者の姿を、朱の回廊を背景にして撮ったものです。

もっとアップで撮影できれば良かったのですが、贅沢は言えません。神鶏が動き回りますから。

楼門の南側の岡の上に、石上神宮の摂社(本社と末社の中間の位置付けの社)の「出雲建雄(いずもたけお)神社」がありますが、ここの拝殿が実は先に述べた内山永久寺の遺構なのです。

廃仏毀釈の時にこの建物だけは壊されずにすんだもので、大正の時代に現在の地へ移築されたそうです。

この拝殿は中央部分が土間で通り抜け可能な割拝殿(わりはいでん)です。

③天理教教会本部

石上神宮からJR天理駅へ向かっていく途中に天理教の多くの建物があります。

信者の宿泊施設である詰所や、大学、病院などの大きな建物です。そんな中で圧巻なのがやはり天理教教会本部(神殿)です。

野球場のように広い前庭を通って本部の巨大建物の南礼拝場に靴を脱いで上がると、何百畳敷きかと思われる広さです。

「ぢば」と呼ばれる天理教の聖地を四方から囲むようにして、南礼拝場と同じ様に大きな東・西・北の礼拝場があります。畳に座ってあちこちで信者さんが真摯に祈っているのが印象的でした。

④ゴール地点はJR天理駅

夕方、JR天理駅に無事到着しました。4時から開店する駅近くの居酒屋「や台ずし天理店」で喉を潤そうと暖簾を潜りました。

私は一人だったためすぐ座れたのですが、私より10分くらい後に店に来たグループ客は「予約で満席です」と断られていました。

春や秋は山の辺の道のハイキング客が多いため、グループ客は平日でも予約必須のようです。

写真
内山永久寺の説明版
ビニールハウスが建つ永久寺跡
内山永久寺跡の本堂池
内山永久寺跡に建つ芭蕉の句碑
石上神宮
参拝前の手水
出雲建雄神社の割拝殿
天理教教会本部
山の辺の道(長岳寺~石上神宮)の概略地図