動画(ユーチューブ)で配信しています。

1、いろいろな時代の奈良

奈良と言えば、飛鳥時代や奈良時代の歴史・美術・文学などが主に話題になりますが、その時代だけでない顔も持っています。

今回は、いろいろな時代の奈良の情景を報告してみます。

2、弥生時代の遺跡「唐古・鍵遺跡」

奈良盆地の中央部にある磯城郡(しきぐん)田原本町(たわらもとちょう)の唐古(からこ)・鍵地区には弥生時代の遺跡があります。

現在は広々とした史跡公園になっていますが、公園のところどころに発掘調査によって出てきた物の写真付き説明版が立てられています。

それによると、ここは環濠集落で、農工具や石器、岡山県から愛知県にまたがる地域より運ばれてきたと思われる土器、そして建物・人物・動物などの絵が描かれた土器が発掘されたとのことです。

二階建て以上の高い建物である「楼閣」の絵が描かれた土器の破片があったため、その絵をもとに史跡公園のシンボルとして楼閣が復元されています。

変わったところでは、弥生時代の史跡公園の中に、太平洋戦争の際に設置された高角砲(陸軍用語では高射砲)の台座の跡が八角形のコンクリートとして地面に残っています。

唐古・鍵遺跡の東2キロメートルのところに海軍の柳本飛行場があったためです。

3、明日香村の謎の石造物「酒船石」

明日香村には使用目的が不明の謎の石造物が幾つもあります。

「酒船石」(さかふねいし)もそのうちの一つです。

人工的に造られたという丘の上に長さ約5メートル半、幅2メートル強、厚さ約1メートルの大きな石が置かれています。

石の上面には深さ10センチメートルくらいの皿状の大小の窪みがあり、その窪みの間に溝が彫られています。

酒を作る時に使われたのだろうとか、占いに使用されたのだろうとか、諸説があって、まだはっきりしたことは分かっていません。

なお、『日本書紀』記述や周囲の遺跡の状況から、この酒船石が造られたのは飛鳥時代で、中大兄皇子の母が天皇(斉明天皇)だった頃ではないかと私には思われますが、正確なことは不明です。

4、解体修理が成った白鳳時代の薬師寺東塔

2009年から行っていた薬師寺東塔の全面解体修理が実質的に終了しました。

実質的にとあえて言いますのは、本来なら今年(2020年)の4月に修理完成の落慶法要を行うはずだったのですが、新型コロナウィルス感染防止のため落慶法要が延期になっているからです。

境内の拝観が再開された薬師寺へ行ってみましたら、解体修理工事のために造られていた覆屋(おおいや)やその基礎も取り外されて、東塔の白鳳時代の優美な姿が見られました。

ただ、東塔の敷地の周囲はまだ工事現場であることを示すシートの衝立が立てられていて、数人の工事関係者が残った作業を行っていました。

5、賤ケ岳七本槍の平野家の霊廟

唐子・鍵遺跡へ行こうとして近鉄田原本駅から歩き出したら、数分で瓦葺きの大きな屋根が目に飛び込んできました。

地図を見ると、今までに聞いたことのない寺の名前が2つ連なって書いてありました。浄照寺と本誓寺です。

私は全く知らなかったのですが、豊臣秀吉が柴田勝家を破った賤ケ岳の戦いで七本槍の一人と言われる平野長泰がこの田原本に領地を貰っていたのです。

平野家2代目の領主がここに浄照寺(建立当時の名称は円城寺)と平野家菩提寺の本誓寺を建てたのでした。本誓寺には平野家領主の霊廟があります。

6、今年(令和2年)オープンした瑜伽山園地(ゆうがやまえんち)

浮御堂があり、奈良公園の人気スポットである鷺池の南側に、今年新たな園地が一般公開されました。

無料で庭園の中に入り散策が出来る瑜伽山園地です。

ここは明治・大正期の大阪財界人の山口吉郎兵衛の別荘があったところでした。

庭園は池や石灯篭、美しい竹林などがあって、静かなひと時を過ごせます。

また、園地には庭園の他にちょっと値の張るレストランなどもあり、ランチ等に利用できます。

写真
唐古・鍵遺跡
史跡酒船石
解体修理成った薬師寺東塔
本誓寺の領主平野霊廟
瑜伽山園地