§2.仏教の概略歴史(成立期)

仏教の成立期の歴史を知ると般若心経の内容がよく理解できるようになりますので、成立期の概略の歴史を見てみましょう。

クイズ

・本題への呼び水として、ここでクイズをします。仏教の経典であるお経について、次の3項目のうちどれが正しいでしょうか?

①お経は釈迦の教えである。

②お経は釈迦の教えではない。

③お経は釈迦の教えであるとも、教えでないとも言える。

・正解は③です。

・お経は、釈迦の没後に弟子たちが集まり、「私は釈迦の教えをこう聴いた」(如是我聞、にょぜがもん)と話し合ってまとめました。

・その後、「釈迦の考えはこうだったに違いない」と思われたものも、お経としてまとめられました。

・つまり、お経の思想のベースは釈迦の教えですが、経典はいろいろな人達によって作られたのです。

仏教の概略歴史(成立期)の年表

・図表の「仏教概略歴史(成立期)」を見て下さい。紀元前463年に釈迦が誕生し、紀元前383年に80歳で釈迦は亡くなります。釈迦は歴史上に実際に存在した人物なのです。

・釈迦没後まもなく、第1回結集(けつじゅう)が行われます。結集とは、言うならば経典作成会議で、釈迦の弟子たちが集まって、皆で釈迦の教えを思い出し、経典にまとめようとする会議です。

・第2回、第3回の結集も行われます。原始仏教経典が作られ、小乗部派の分裂があり、大乗仏教運動が興り、大乗仏教経典が作られていきます。

・般若心経は、紀元400年頃作成されます。釈迦が亡くなってから約800年後に作られたことになります。

釈迦・原始仏教・小乗仏教・大乗仏教

 ●釈迦

・仏教の成立期の歴史をもう少しだけ詳しく述べます。

・お釈迦様と一般に言われるゴータマ・シダッタ(以下、釈迦と記載)はインドで生まれた実在の人物です。

・釈迦は人間が種々の苦しみから解放されるためにはどうしたら良いかを知りたいと、修行や瞑想(真理探究の思索)を行いました。そして修行開始から6年、釈迦は苦しみの原因や苦しみから解放される方法を把握したのです。

・釈迦は真理を覚った人とのことで覚者(インド古代語のサンスクリット語でブッダ)と呼ばれるようになりました。

 ●原始仏教

・釈迦の教えは原始仏教と呼ばれます。以下はその要点です。

・万物は非常に小さい物質の基本要素が組み合わさって出来ていて、それらは絶えず原因と縁によって変化し、結果が出て来ます。 

・「全てが移ろい変化していく」ことを知れば、ものごとや自分に執着することがなくなり、心が安らぎます。

・執着を断ち切るためには真理を理詰めで考えて納得し、自分を自己努力で救うことが必要です。

・日頃の生き方として勧めていることは、「良いことをして、悪いことをせず、心を浄(きよ)らかに保つ」ことです。

 ●小乗仏教(現在の呼称は部派仏教、上座部仏教)

・釈迦と同じように真理を覚りたいと多くの出家者が山に籠り、緻密な分析や理論構築を行いました。

・出家者は自分が苦しみから脱却できることを求めました。在家の人は出家者に布施を行い支援することで、出家者の功徳を間接的に得ようとしました。これは小乗仏教と呼ばれます。

・小乗とは少人数の乗り物という意味で、「これまでの仏教は少人数しか救済できない」と、後から興った大乗仏教側が相手を悪く言ったものです。 

   (部派仏教とは釈迦の教えに対する解釈の違いによって仏教界が20ほどの部派に分かれた状況を言いいます)

 ●大乗仏教

・小乗仏教が緻密な理論構築に取り組んで、直接的に民衆救済をしなかったことや、インド国内が戦乱で疲弊し、一般民衆が出家者の支援をしていられなくなったことで、大乗仏教の考えが広まっていきます。

・大乗仏教は、出家者は民衆の中に入って多くの人々を救済しなければいけないと考えました。

・大乗仏教の考えは、「非常に小さい物質の基本要素はない。因縁果の法則もない。理論的に真理を把握して安らぎを得ることはできない」という考えです。そこで、「神秘的な力に頼る」という考えが示されます。

・大乗仏教はある意味、釈迦の教えを否定し、乗り越えようとしたと言えます。一方では人間救済の釈迦の教えに回帰したとも言えます。

インドでの仏教興隆と日本までの伝播の経緯

・インドで仏教が興ってから日本へ伝わってくるまでの経緯を図でもって見てみましょう。インドの状況は再度の説明です。

・インドで起こった原始仏教(釈迦の仏教)は、真理を覚り、自己努力で解放されようという教えです。

・その後、この真理を覚り、自己努力で解放されようということが、出家をして緻密な理論構築をすることに埋没してしまうようになり、民衆救済を後回しにするようになります。いわゆる小乗仏教が盛んになってきます。

・そこで、民衆救済に注力する大乗仏教が興ってきます。

・小乗仏教と大乗仏教は共に中国へ伝わるのですが、小乗仏教は民衆救済の考えの面で中国では受け入れられませんでした。中国では大乗仏教だけが広まったのです。

・そのため、中国から直接、または中国から半島三国(百済、新羅、高句麗)を経由して日本へ伝わった仏教は大乗仏教でした。日本では明治の初めまで大乗仏教のことを仏教と理解し、大乗仏教以外の仏教があることをほとんど知りませんでした。

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