聖徳太子は斑鳩(いかるが。現在の奈良県斑鳩町)に宮を構えて、そこで暮らしたように一般に思われていますが、当時の政治の中心は飛鳥であるため、私は飛鳥と斑鳩の両方を拠点にして政治と生活をしていたと推測しています。

太子および太子の家族が暮らしたと言われている所、思われる所を訪ねてみました。

なお、ここで「宮」と言いますのは政治が行われる宮殿のことではなく、皇族の「私宅」の意味です。

●飛鳥の橘寺

現在、橘寺となっている所は、元々は聖徳太子の祖父・欽明天皇および父・用明天皇の別宮(別荘)だったと言われています。

ここは太子の誕生地としての伝承があること、太子が建てた寺の一つとされていることなどから、太子の飛鳥における生活拠点だった可能性が高いと私は思っています。

そして妃の菟道貝蛸皇女(うじのかいだこのひめみこ)もここで一緒に暮らし、太子を公私ともにサポートしたのだろうと推測しています。

なぜなら菟道貝蛸皇女は推古天皇の娘で、当時の出自のランクから言って正妻に位置する人だからです。

太子が斑鳩と飛鳥の地を行き来したときに黒毛の馬に乗っていたという話から、現在の橘寺境内には黒駒の像が造られて設置されています。

●斑鳩の斑鳩宮

斑鳩宮(いかるがのみや)は太子の斑鳩における拠点で、太子が亡くなった後は跡を継いだ山背大兄王子が住みました。

『日本書紀』によると、蘇我入鹿が斑鳩宮の山背大兄王子を襲わせて王子と一族を滅亡させたとのことです。

宮に火を着けたため斑鳩宮は焼失し、その跡地に後年、夢殿などが建てられました。現在の法隆寺の西院伽藍がそれです。

なお、山背大兄王子たちが自害したとされている斑鳩寺は斑鳩宮から少しだけ南西の方に離れていて、襲撃事件の時には燃えませんでした。

斑鳩寺が焼失したのは襲撃事件の27年後です。

斑鳩寺跡は現在、法隆寺境内の空き地となっていて「若草伽藍」と呼ばれ、大きな礎石が一つポツンと置いてあります。

●斑鳩の中宮寺跡

現在の中宮寺は法隆寺の東院伽藍に隣接してありますが、元々は現在の中宮寺より約400メートル東へ行ったところにありました。

塔や金堂の跡が発掘され、今は礎石が復元展示された中宮寺跡史跡公園となっています。

中宮寺は太子のお母さんの穴穂部間人皇后(あなほべはしひとこうごう)が住んでいた宮を後に寺にしたと言われています。

穴穂部間人皇后は用明天皇と死別後、義理の息子に相当する田目皇子と再婚しましたが、その後も太子は母親に孝養をつくしたようですから、穴穂部間人皇后の再婚には特別な事情があったのだろうと思われます。

また、聖徳太子の妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)も一時期、中宮寺に住んでいた可能性があるかもしれないと私は思っています。

なぜなら、橘大郎女が祖母の推古天皇に頼んで作ってもらった「天寿国繍帳」が中宮寺に伝わっているからです。

中宮寺跡史跡公園は広々としていて、春にはクローバーが、秋にはコスモスが一面に咲きます。公園敷地にある東屋には、そこから見える斑鳩三塔が矢印で方向表示されています。

その方向に目をやると、木々の合間や民家の間に僅かですが、法起寺、法輪寺、法隆寺の三つの塔が確かに見えました。

●斑鳩の法起寺

法起寺(ほうきじ、ほっきじ)は別名、岡本寺とか池後寺(いけじりでら)とも言われていました。

寺になる前は岡本宮と呼ばれ、『日本書紀』にはここで聖徳太子が法華経の講義をしたと書かれています。

そして、『日本霊異記』によれば、蘇我馬子の娘で太子の妃となった刀自古郎女(とじこのいらつめ)がここに住んでいたとのことです。

太子が臨終に際して、長子であり、刀自古郎女との間に生まれた子である山背大兄王子に、岡本宮を寺にするよう遺言したと言われていますから、刀自古郎女を手厚く祀ってほしいという気持ちだったのでしょう。

●斑鳩の飽波葦垣宮跡

『大安寺伽藍縁起』によれば、飽波葦垣宮(あくなみあしがきのみや)で太子は晩年を妃の菩岐々美郎女(ほききみのいらつめ)と過ごしたとのことです。

飽波葦垣宮の推定地は、斑鳩町の上宮(かみや)遺跡公園近くの成福寺(じょうふくじ)跡、奈良県安堵町(あんどちょう)の広峰神社、同じく安堵町の飽波神社(あくなみじんじゃ)と3つありますが、成福寺跡が一番有力視されています。

それは発掘調査の結果、上宮(かみや)遺跡公園で奈良時代の飽波宮と推定される掘立柱建物群の跡が発見されたからです。

奈良時代の飽波宮の近くに飛鳥時代の飽波葦垣宮もあるだろうとの推測です。

現在、成福寺は廃寺となっていて、跡地は金網のフェンスで囲まれ入ることができません。

フェンス扉の傍らに石碑が建っていて「太子道」と彫られているのが、聖徳太子との関連を思わせる唯一のものでした。

写真
橘寺本堂
橘寺の黒駒の像
斑鳩宮の所在地
若草伽藍後
中宮寺跡
中宮寺の塔跡
東屋の斑鳩三塔表示図
法起寺
扉閉ざされた成福寺跡