●「聖徳太子の墓」と言われている理由
叡福寺北古墳が「聖徳太子の墓」と一般に言われている理由を、私が調べて分かった範囲で整理して書くと次の通りです。
①『日本書紀』に太子が亡くなったこと、そして「磯長陵に葬った」ということが書いてある。
・なお、『日本書紀』には、太子の母の穴穂部間人皇女や妃の菩岐々美郎女と一緒に合葬されたとは書かれていない。
・平安時代前期に書かれた『聖徳太子伝暦(でんりゃく)』には太子と妃が合葬されたと書かれているが、母との合葬は書かれていない。
・鎌倉時代に出現した石文「廟窟偈」に、初めて太子と母と妃の三人合葬が出てくる。
②寺伝によると、叡福寺は推古天皇が太子の墓を守るための僧房を置いたのが始まりで、奈良時代の聖武天皇の時に七堂伽藍が整備されたとのこと。
③平安時代以降、太子信仰の高まり(*1)の中で、太子が未来を予言したということの刻まれた石(*2)が太子の墓の近くで発見され、叡福寺に多くの参拝者が訪れるようになった。
*1:太子信仰はもしかしたら誰か(寺自ら?または寺以外の人?)が、何らかの意図をもって高まらせたのかもしれない。
*2:石は誰かが偽物を作った?
④太子信仰が盛んになり、③の石の伝承が語り継がれていった。
⑤叡福寺は聖徳太子ゆかりの寺として歴代の天皇や時の権力者に大切にされてきた。また、太子の墓所であるとして空海、親鸞、日蓮などの僧侶が参籠した。
⑥江戸時代の東本願寺の僧である乘如が古墳の石室内の様子を記録している。
また明治12年の宮内省の石室内部調査によって三つの棺台の存在が確認された。
⑦三つの棺台の周辺には夾紵棺(きょうちょかん)の破片が散らばっていた。
夾紵棺とは布を漆で何層も貼り固めた棺のことで、飛鳥時代には非常に高貴な人でないと使用されなかった。
⑧叡福寺から北へ約5キロメートルの所に大阪府柏原市の安福寺がある。
そこに夾紵棺の一部(棺の端の板に相当)がある。
絹に漆を塗って45層も重ねたもので、最高級のものである。
その「板」の寸法が棺の小口(側面の短辺)部分として、叡福寺北古墳の聖徳太子の棺台に合う。
安福寺の江戸時代の住職・珂憶(かおく)が叡福寺を支援しているので、安福寺にある夾紵棺の一部は叡福寺北古墳の夾紵棺、すなわち聖徳太子のお棺の一部ではないかと言われている。
⑨現時点、宮内庁が叡福寺北古墳は聖徳太子の磯長墓と治定(じじょう。被葬者を聖徳太子と特定)している。
・なお、宮内庁は叡福寺北古墳を穴穂部間人皇女・菩岐々美郎女の墓とはしていない。
●「叡福寺北古墳は太子の墓ではないのでは?」という見解の論拠
①横穴式石室の古墳であり、石室構造が奈良県高市郡明日香村の岩屋山古墳(被葬者は斉明天皇の可能性がある言われている)と非常に似ている。
7世紀後半頃のものと考えるのが通説。
太子が亡くなったのは西暦で622年であり、年代として合わない。
②太子が未来を予言して書いたと伝承されている『太子御記文』に、「(磯長の里に)寺塔を建てよ」と記されていることから考えると、『太子御記文』が世に出てきた平安時代半ばの時点では、太子墓の前に寺がなかった可能性がある(出所:瀧音能之編『聖徳太子に秘められた古寺・伝説の謎』)。
つまり叡福寺の寺伝内容(叡福寺は推古天皇が太子の墓を守るための僧房を置いたのが始まりで、奈良時代の聖武天皇の時に七堂伽藍が整備された)に疑いが生じる。
③文献『天王寺事』には、「太子墓の場所は今なお分からない」との1024年の記録が引用されている(出所:今尾文昭著「聖徳太子墓への疑問」。
大和岩雄編『東アジアの古代文化(88号)』所収)。
つまり、平安時代には太子の墓がどこにあるか分からなかったのだから、「叡福寺によって守られていたため叡福寺北古墳は太子の墓で間違いない」という説は成り立たなくなる。
④太子の棺が載せてあったと推定されている棺台の格狭間(こうざま。側面に彫り込まれた装飾)や、夾紵棺の技法そのものは7世紀後半のものと言われ、太子の亡くなった7世紀前半に合致しない。
●改葬されたのでは?との説もある
考古学者の猪熊兼勝氏は、叡福寺北古墳が太子の墓であると考えているが、古墳の年代評価と太子の死亡年が半世紀ほど違うので、太子は磯長の別の所に一度埋葬され、後で叡福寺北古墳に改葬されたのではないかと述べている。
●継続して調査
しかし、私としては叡福寺北古墳が聖徳太子の墓であるとはまだ納得ができないので、今後も継続して調べ、考えていきたいと思います。答えが分かるのは何年先になるか分かりませんが。
特に次の2点が気になっています。
①なぜ菩岐々美郎女が合葬された形になっているのか。
②叡福寺北古墳で採取された夾紵棺の小片と、安福寺に残っている夾紵棺の「板」は、本当に繋がりがあるのか。もし太子が死後半世紀くらい経って改葬されたなら、改葬時に非常に高価で人体が入る大きさの夾紵棺に遺骨を納めるだろうか。