●一切皆苦

「一切皆苦」とは、文字通り「一切(全て)が苦しみである」と理解できます。

つまり、「人生は苦しみで満ちている」と仏教では述べています。

「苦」のサンスクリット語の原語はduhkhaダッカであり、この語の本来の意味は「意の如くならないこと」です。

意の如くならないから苦しみなるのです。

そしてなぜ意の如くならないかというと、全てのものは絶えず変化していく(諸行無常、諸物変化)ためです。

●四苦八苦(1)

一切皆苦に関連して思い浮かぶ仏教の言葉は「四苦八苦」です。

日常で四苦八苦が使われている場合の意味は「大変苦労すること」ですが、仏教で四苦八苦と言う場合、四苦は生老病死(しょうろうびょうし)を示しています。

① 生(しょう。うまれること)、

② 老(ろう。おいること)、

③ 病(びょう。病むこと)、

④ 死(し。死ぬこと)

の4つです。

仏教では、この4つを人間の避けられない苦しみと捉えています。

●四苦八苦(2)

ここで疑問が発生します。

なぜ生(生まれること)が苦しみなのか?

生まれる(出産)の時に赤子も苦しいからでしょうか。

生まれた世の中が苦しみの多い所だからでしょうか。

私が思うに、おそらく、生まれようとして生まれたのではなく(意の如くではなく)、生まれるからでしょう。

生老病死は、どれも意の如くではなく(人間の意志に無関係に発生する、という意味でしょう。

なお、生老病死の「生苦」を「生まれる苦しみ」ではなく、「生きる苦しみ」と捉える説があるが、これは間違いです。

生苦のサンスクリット語の原語はjanma duhkhaジャンマ・ダッカ(誕生・苦)であり、「生まれる苦しみ」が正しい理解です。

●四苦八苦(3)

八苦とは生老病死の四苦に次の4つの苦しみを加えたもののことです。

⑤ 愛別離苦(あいべつりく。愛する人と分かれる苦)、

⑥ 怨憎会苦(おんぞうえく。憎い人と会う苦)、

⑦ 求不得苦(ぐふとくく。求めても得られない苦)、

⑧ 五陰盛苦(ごおんじょうく。人間は存在そのものが苦、世の中に存在するものへ執着する苦、の2つの解釈がある)。

●一切皆苦、四苦八苦で仏教が言おうとしていること(1)

一切皆苦、四苦八苦は「人生は苦しみで満ちている」と述べています。そして仏教の教えは次のように展開していきます 「人生は苦しみで満ちている」とは、「苦の世界からなかなか抜け出せない。苦の世界に何度でも生まれ変わる(輪廻)」からです。そこで、苦の原因を追究し、原因が分かったら解決策を実行します。それによって苦の世界から脱出できると、仏教では説いています。

●一切皆苦、四苦八苦で仏教が言おうとしていること(2)

一切皆苦、四苦八苦の仏教の考えで、私が抱いた疑問と問題意識があります。

今後、思考を深めていきたいと思いますが、それらは次の次の通りです。

① 人生や世の中が苦で満ちているという考えは、あまりに悲観的見方ではないでしょうか。

人生には楽しみも喜びもあるはずです。

楽しみや喜びは長続きせず、すぐに苦しいことや悲しいことが起こるから、やはり人生は苦に満ちているのだと言う人もいます。

しかし、これは「苦に満ちている」と言うための強引な論のように感じます。

また、釈迦の時代には苦が満ちていたとしても、現代にそのまま適用は出来ないと思います。

② 輪廻(りんね)の考えは、もともと古代インドにあった世界観が仏教に取り入れられたもので、現代人には受け入れがたいものだと私は思います。

なお、輪廻とは次のことを言います。

「人間は、天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の6つの世界に無限に生まれ変わる、というものです。

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