●釈迦の思想のベース
釈迦(ブッダ)が出家をしようと考えた「きっかけ」は、釈迦が都の4つの門から外出した時に、それぞれの所で老人・病人・死人・出家者を見たことと言われています。
この話は一般に「四門出遊」として知られています。
この話から言えることは、釈迦に出家を促した直接の動機は民衆の苦しみに対する深い同情だったということです。
当時、多くの修行僧が求めていた自分自身のみの救済とは全く目的が違うものでした。
釈迦は、全ての生きものに対する同情の念(慈悲)を基に、あらゆる人間の(精神的)救済を行なおうとしたのです。
この精神的に救済され、心が安らぐ状態のことを「覚り」と捉えると分かり易いです。
●覚りへ至る道
釈迦が説いた「覚りへ至る道」の内容は「四諦(したい)」と「八正道(はっしょうどう)」です。
四諦の「諦」は、「アキラメル、断念する」の意味ではなく、「あきらかにする、あきらかなもの、まこと、真理」の意味です。
四諦とは、苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)の四つの真理のことで、それぞれの意味は次の通りです。
①苦諦(くたい)・・・「迷いの生存」は苦であるという真理です。
「迷いの生存」とは、この世のものごとが因縁果で全て結びついているという真実を知らないで生きていることです。
なお、一部の仏教解説書では「苦諦を、“人生皆苦、この世は苦に満ちている”という真理」と説明しているものがありますが、私はこの解釈では救いが感じられず、受け入れることが出来ません。
釈迦も精神的な救済をしようとして、煩悩の撲滅ということに思いが至ったのだと思います。
②集諦(じったい)・・・苦の原因は渇愛のような煩悩であるという真理です。渇愛とは、喉が渇いた人が激しく水を求めるような激しい愛着のことです。
③滅諦(めったい)・・・渇愛が完全に捨て去られたときに苦が死滅するという真理です。
④道諦(どうたい)・・・苦の死滅に至る道筋が八正道にあるという真理です。
この四諦、苦集滅道は次のように解釈すると分かり易いです。
苦は苦しみが溢れているという病気の症状、集は病気の原因、滅は病気の回復、道は病気の治療方法と理解できます。
八正道とは、苦の死滅に至る道筋、煩悩の消滅を実現するための八つの道のことです。
八つの項目の簡単な説明文は、左側が浅野孝雄著『ブッダの世界観』、右側の( )書きが仏教学者の佐々木閑著『100分で名著 般若心経』からのものです。
①正見・・・・正しい見解 (正しいものの見方)
②正思・・・・正しい思惟 (正しい考え方をもつ)
③正語・・・・正しい言葉 (正しい言葉を語る)
④正業・・・・正しい行い (正しい行いをする)
⑤正命・・・・正しい生活 (正しい生活を送る)
⑥正精進・・・正しい努力 (正しい努力をする)
⑦正念・・・・正しい思念 (正しい自覚をもつ)
⑧正定・・・・正しい精神統一(正しい瞑想をする)
以上が四諦と八正道の説明ですが、八正道は八個も項目があるので、ちょっと理解しづらいです。
●参考・・・八正道と三学
そこで、参考として八正道の項目を三つのグループに分けてみます。
そうしますと、八正道が仏教でいうところの「三学」になることが分かります。
八正道の、③正語(正しい言葉を語る)、④正業(正しい行いをする)、⑤正命(正しい生活を送る)の三項目は、「悪いことをせず、善いことを行なう」というグループにまとまります。
次に八正道の、⑥正精進(正しい努力をする)、⑦正念(正しい自覚をもつ)、⑧正定(正しい瞑想をする)の三項目は、「精神を統一し、思いが乱れないようにする」というグループにまとまります。
最後に八正道の、①正見(正しい物の見方)、②正思(正しい考え方をもつ)の二項目は、「静かになった心で、正しく真実の姿を見極める」というグループにまとまります。
これら三つのグループは順に、戒(かい)、定(じょう)、慧(え)と呼ばれ、それらを学ぶことを戒学(かいがく)、定学(じょうがく)、慧学(えがく)と言います。
そしてこれらの三つを合わせて「三学」と言います。
三学とは、仏道を修行する者が必ず修めるべき三つの基本的な修行の項目です。
三学の戒学、定学、慧学は次のような関係にあります。
戒を守り生活を正すことで、精神的に安定し(定:じょう)、安定して澄んだ心によって智慧を発する。
智慧は真理を悟り悪を断ち、生活を正し、仏教が体現されていく。
★私見・・・上記から、八正道は三学そのものであり、仏教の習得・実践の必修科目と言えそうです。