観光の意味と奈良観光の奥深さについて(「第二章 観光」と「第三章 雫」から)

第二章 観光

・・・前略・・・

焼酎の水割りグラスを手に金沢がしばし考えるような顔をして、話し出した。

「小川は観光課勤務だし、橘は旅行会社で働いていたのだから、聞いたことがあると思うのだけれど、『観光』という言葉はどこから来ている?」

「オッ、昔の金沢先生に戻った。高校時代によく質問されたものだった」

小川がおどけた。そして答えた。

「先生、それはさすがに分かりますよ。観光部の部長から研修の時に聞かされましたから。中国の古い本『易経』に書いてある『観国之光』つまり『国の光を観(み)る』から来たのですよね」

「正解。それでは橘、『国の光』って何だ?」

「その国の素晴らしいもの。奈良であれば、さっき小川さんが言っていた寺や神社や文化財、それに歴史や文学など。穏やかで美しい自然も光だと思います」

「正解。さすがに二人とも私の自慢の生徒だけのことはある。それでは次に聞くが、原典の『易経』でその『国の光を観る』を確認したことはあるか」

二人とも無言だった。

「そういうことではいかん。俺の自慢の生徒もそれくらいのものか。嘆かわしい」

金沢は気の置けない二人を前にして大分酔って来ているみたいだ。

「先生、上げたり下げたり、ジェットコースターみたいですよ」

・・・中略・・・

「先生。それで、原典には何が書いてあるんですか」

光代が微笑みながら部屋を出て行く。

「うむ。まず、『観国之光』と書いてあるのは小川の言った通りだ。ただ、『観国之光』を国の光を観(み)ると読むか、国の光を観(しめ)すと読むか、意見が分かれる。また、両方の意味に読むべきだという人もいる」

「観(かん)という字は『しめす』とも読むのですか」

小川の驚きとも質問ともとれる言葉に金沢は頷きながら話を続けた。

「そして易経には、『観国之光』の次に『もって王に賓(ひん)たるに利(よ)ろし』と書かれてある。さらに『国の光を観るとは、賓を尚(たっと)ぶなり』と解説されている」

「それはどういう意味なのですか」

貴一が分からないという顔で聞いた。金沢は知っていることを話すのが嬉しいというように目を細め、グラスで喉を潤して説明した。

「国の光を観(しめ)す、見せることは、王の賓客に良いことだという意味だよ。賓客とは、諸国からやって来た賢い客人のことで、食客とも言う。ほら、食客三千人という言葉があったろう?」

賓の意味は分かったが、貴一も小川もまだ怪訝な顔をしている。

「もう少し詳しく説明すると、私はこう解釈している。国の政治や経済や文化、それら政情の落ち着いて優れている様子を食客に見せることは良いことだ。見せると、食客はその国が良く治められていることを知り、その国のために尽くそうとするようになる。このことは食客にも王にも良い結果をもたらす。食客は力量を発揮でき、王はさらに国をより良くしていける。だから、王は食客を尊ぶのだ。食客が国の光になる。そういう意味だと思う」

金沢の話を受けて小川が言った。

「つまり先生は、国の光はその国の産物だとか綺麗な景色だとかではない。いや、それもあるのでしょうが、それ以上に、政情の落ち着いた暮らし易い世の中のことだとおっしゃりたいのですね」

「そう」

短い返事に、今度は貴一が話した。

「そしてさらに、国の光とはそんな良い国を支えている人たちだと先生は言いたいのではないですか」

「そう、そうだよ。やはり君たちは俺の自慢の生徒だ」

「またジェットコースターが始まった」

三人が笑った。笑った後、金沢はこれだけは言っておきたいという感じで話した。

「奈良に観光客を呼ぼうとしたら、奈良をどれだけ良い街にできるかにかかっている。そして、それをする人間に何人がなれるか、育てられるかにかかっている」

・・・後略・・・

第三章 雫

・・・前略・・・

そろそろ講演会も終わりになるような雰囲気が感じられた。貴一は谷中に教えを請えるこの機会を逃してはいけないと思い、挙手をして聞いた。

「鑑真和上が大変な苦難を乗り越えて日本へ渡航し、日本に対して多大の貢献を行ってくださったこと。自分が死んだら、鑑真和上の側に仕えたいと芭蕉が言っていますこと。そのような、人を感動させたり、勇気付けたりするものが奈良にはたくさんあります。それをどうしたら多くの人にアピールできるのでしょうか。先生の今日のお話から少しずれてしまうかもしれませんが、先生が思われますことを教えていただければ嬉しいです」

「奈良の良さをどのようにアピールしたらよいかということが、今のご質問の趣旨と受け止めました。私は観光に関してやビジネスに関しては門外漢ですから、適切なお答えはできないと思います。ただ、近年、芭蕉の俳句や奈良のことに関して資料を調べたり、現地を訪ねたりしてきて、思うことが二つあります。一つは、奈良って奥が深いということです。求めれば求めるほど深いものに接することが出来る場所、それが奈良だと思います。もう一つは、奈良には美しい自然、素晴らしい建造物や仏像などがたくさんありますが、それらは心で感じたり、自分の心を見つめるきっかけにしたりしないと、その価値は分からないと思うようになったということです。

先ほどのご質問、奈良の良さをアピールするにはどうしたら良いですかというご質問にあえて私がお答えするとすれば、まずはご自分が奈良の良さをしっかりと求め、素晴らしい文化遺産、歴史遺産に向かい合って、自分の心を見つめることが大事かと思います。ご自身が奈良の素晴らしさを心底実感していれば、自然に奈良の良さを周りの人に広めて行けるようになるのではないでしょうか」

貴一は奈良の人ではない谷中に奈良の素晴らしさを教えてもらったと思った。特に「心を見つめる」という言葉が脳裏に刻まれた。貴一はお礼の言葉を述べた。

・・・後略・・・