第三章 雫(一部抜粋)

・・・前略・・・

「私が深く感動した句で奈良に関係のあるものとしては、唐招提寺で詠まれた『若葉して御めの雫ぬぐはばや』があげられます。この句は芭蕉が二回目に奈良を訪問したときに作られ、俳諧紀行『笈(おい)の小文(こぶみ)』に書かれているものですが、前書として次の文章が記されています。

『招提寺鑑真和尚来朝の時、船中七十餘度の難をしのぎたまひ、御目のうち塩風吹入て、終に御目盲させ給ふ尊像を拜して』

なお、皆さんご承知のことと存じますが、念のため申しておきますと、ここで書かれています『七十餘度』という言葉は『数多く』、『何回も』という意味です。

ところで、この句を掲載しています他の本に『笈日記』というものがあります。これは芭蕉の門人である各務(かがみ)支考(しこう)という人が芭蕉の俳句などを編纂している本ですが、この『笈日記』の底本、つまり草稿の前書には『幾年斗先にや侍らん、この宮古の西大寺に詣して』と書いてあります。ここで支考が西大寺と書いているのは間違いですが、もしかすると唐招提寺を奈良の西にある大寺という意味で西大寺と書いたのかもしれません。ともあれ、芭蕉や支考が書いている、これら前書の言葉を覚えておいてください。あとでこの句を鑑賞するときに重要な意味を持ちますので。

・・・中略・・・

俳句の話に戻ります。今述べましたように鑑真和上の行動を見てきますと、使命感に燃え、艱難辛苦に耐え、十二年もの歳月をかけて日本へ来た不屈の和上が、また、日本における冷遇をものともせず毅然として真の仏教を広めていった和上が、芭蕉の句の一般的解釈のように、悲しみの涙や望郷の涙を流すとは、私にはとても思えないのです。もちろん日本へ来られる途中での弟子の死など悲しいことは数限りなくありましたが、すでに日本に到着して、仏教を広め衆生を救おうという日々を和上は送っていたのです。そういう和上にとって、流す涙があるとすれば、それは喜びの涙であるはずです。

『日本へ来ることができ、多くの人に仏の道を教え広める願いがかなった。たくさんの人が良い生き方をしていってくれている。なんと嬉しいことだろう』

和上はそう思ったのではないでしょうか。さわやかな若葉の季節、まわり一面青葉の中に、育ち盛りの日本の姿が和上の心の目にははっきりと見えたのでしょう。悲しみでなく喜びです。そして、その喜びは自分の願いがかなったという単なる喜びではなく、多くの人が、衆生が、成長し救われていくことが嬉しかったのだと思われます。鑑真和上の不撓不屈の精神と行動を知れば、私の一番目の解釈『喜びの涙』説が、納得していただけると思います。

谷中は水を一口飲んだ。

「先ほど私は鑑真和上が流した涙は悲しみの涙ではなく、喜びの涙ではないかと言いましたが、ある時に何か変だなと気付きました。喜びの涙が変なのではありません。喜びの涙を拭くことがおかしいのです。悲しみの涙を拭くのは分かりますが、喜びの涙の場合は流れるにまかせるのではないでしょうか。嬉しいのですから、拭く必要がありません。涙を流して喜びに浸るはずです、浸らせるはずです。

それならば、芭蕉は何を拭おうとしたのでしょうか。私はこう解釈しました。御めの『雫』は涙でなく、それは盲目になるほどの努力をして和上が日本に広めて下さった仏の教えであり、和上がしてくださった日本に対する貢献の有難さであったのではないかと。鑑真和上に深く帰依していた芭蕉は、若葉の木漏れ日さえ青く感じられる中で和上の尊い像を拝して感動します。和上の慈悲の心、不撓不屈の精神が、盲目の和上の姿から静かに芭蕉に伝わってきます。その有難さに芭蕉は身震いし、感激に浸ったでしょう。降りかかってくる鑑真和上からの限りない恩顧、雫は、仮に拭い去ろうとしても出来ないほどたくさんのものだったのです。『幾年斗先にや侍らん』、つまり、何年か先に自分が死んだら和上の側に仕えたいと言った芭蕉の言葉を、弟子の支考が書いているほどの芭蕉ですから、このような解釈も考えられると思うのです。

・・・中略・・・

私は『若葉して御めの雫ぬぐはばや』の句を以上のように解釈したのです。解釈をもう一度まとめて言いますと、こういうことです。若葉の季節に、芭蕉は鑑真和上の尊像を拝み、感動に打ち震えます。和上の慈悲の心、不撓不屈の精神が、盲目の和上の姿から伝わってきます。降りかかってくる鑑真和上からの限りない恩顧、雫は、仮に拭い去ろうとしても出来ないほどたくさんのものだったのです。燦燦(さんさん)と降り注ぐ木漏れ日のように。

このような解釈に自信を持てる事実と言いますか、証明するものと言いますか、そういうものがないか、いろいろ調べてみました。そうしましたら、しばらく経って、芭蕉の俳句でこういうものがあることを知りました。『我がきぬにふしみの桃の雫せよ』という句です。鑑真和上の句の三年前に作られています。

さて俳句の意味ですが、『桃山と呼ばれるほど有名な伏見の桃の花よ。その美しい花の露で、私の衣をきれいに染めてほしい』と理解されています。つまり、伏見が桃の名産地であることを踏まえ、盛りの桃の花を任口上人の高い徳になぞらえて、その徳に浴したいとの意味を持った俳句なのです。

・・・中略・・・

私がなぜこの句をご紹介したか、もう皆さんお気づきですね。そうです。桃の雫が上人の高い徳に浴することを意味しているのです。鑑真和上の句を詠む三年前に、『雫』を相手の高い徳、相手から降り注ぐものという使い方をしているのです。『御めの雫』も、鑑真和上が盲目になるほどの苦難を乗り越えて私たちに与えてくださった功徳と理解することは納得性があります。荒唐無稽な解釈ではないのです。逆に、『目と雫』ということで、安易に『涙』を連想してしまっていたことに問題があったように思います。芭蕉の鑑真和上に対する深い帰依の心を読み取っていなかったことになりますから。

・・・後略・・・