鑑真和上は日本の医学の祖

唐招提寺の開祖・鑑真和上は日本へ真の仏教を伝えてくださいましたが、医学の面でも大きな貢献をしました。多くの薬草を中国から日本へ持参し、治療法なども広めています。そのため、徳川時代まで薬袋には鑑真和上の絵が描かれていたそうです。私はまだ実物を見ていないのですが、唐招提寺が作ったビデオなどにはそれが映っていました。

和上ゆかりの薬草や薬木が唐招提寺御影堂の庭にある供華園(くかえん)で育てられています。また金堂の平成大修理が始まるまでは、唐招提寺境内の南西の地(つい最近まで仏像修理所になっていたところ)でも、薬草が育てられていました。

薬草の疎開

金堂の解体修理に合わせて仏像を修理するため、その仕事場を確保する必要がありました。白羽の矢が立てられたのが唐招提寺境内南西の地の薬草園で、一時的に園を閉鎖し、その地の薬草は岐阜県関市の洞戸高賀へ疎開させることになりました。洞戸高賀は岐阜市の北方へ車で約1時間半、山に入って行った所にあります。道沿いの川で言いますと、長良川の支流の板取川の、さらに支流の高賀川を上ったところです。

なぜそんな山奥に疎開させたのかと言いますと、岐阜市や岐阜市周辺の有志の方々がそれまで唐招提寺の薬草園の世話をしてきていたことと、洞戸高賀に同じ有志の方々が面倒をみている薬草園「神薬才花苑」があったからです。神薬才花苑は中国・揚州市にあります大明寺の「鑑真和上才花苑」の分苑で、現在130種の薬草や薬木が育成されています。先日、私がその薬草園を訪問した時には、大明寺からやってきた瓊花(けいか)の木が元気に枝を伸ばし、葉をいっぱい付けていました。

薬草園の管理は、有志の方々が毎週月曜日に手弁当で行っています。それぞれの人が自分の担当の畝や畑に薬草を植えて面倒をみるという、いわば日曜菜園方式が取られています。その人たちの平均年齢は75歳で最年長は80歳だそうです。皆さん嬉々として、空気のきれいな山中で薬草の世話をしています。人に薬草という「安らぎの素」を提供しようとしていると、その行為自体が本人そのものに心の安らぎを感じさせるのかもしれないと思いました。

神薬才花苑の近くの宿泊場所「鑑真康寿堂」

神薬才花苑の近くには、古の雰囲気が漂う高賀神社、多くの円空仏や円空の書などが展示されている関市洞戸円空記念館、きれいな岩と青い水が素晴らしい高賀渓谷などがあります。そして、お薦めしたいのが杉の香りのする新しい宿、薬膳料理の「鑑真康寿堂」です。ここは前述の神薬才花苑を世話している方の息子さんが切り盛りしている宿で、薬草類や有機栽培野菜などの料理が食べられます。私が泊まった時には、肉桂の葉やアケビの皮などの珍しい天婦羅が出て、ご飯には甘みが懐かしい山栗が入っていました。

6月下旬から7月上旬にかけては、宿のすぐ傍を流れる高賀川の周囲に多くの蛍が飛び、部屋の窓からその光を眺めることができるそうです。今度はその頃に来ようと思いながら、私は疲れがとれるヨモギ風呂に入り、激しく流れる川の音も忘れてぐっすり寝ました。