国宝特別公開2010

現在、平城京遷都1300年祭と連携する形で、奈良・興福寺では国宝の特別公開がなされています。五重塔の初層(1階)や東金堂が開扉され、国宝や重要文化財を拝観することが出来ます。普段はあまり拝観することができない日光・月光菩薩立像などを間近に参拝できますので、この機会に興福寺を訪れてはいかがでしょうか。

国宝特別公開の期間は10/9(土)から11/23(祝)までで、会期中は無休です。また、拝観時間は9時から17時(金土日祝は18時)までです。

お薦めは国宝館

五重塔や東金堂の中を拝観できるのは良いことですが、それ以上にお薦めなのは興福寺の国宝館です。ここには昨年の東京での「興福寺展」以降、大人気の阿修羅像があります。また、次項で述べる素晴らしい仏像の他に、均整のとれた美しい燈籠や、少年の憂いを帯びた顔が何とも言えない沙羯羅像(さからぞう)があります。

興福寺へ行きましたら是非この国宝館は拝観してみて下さい。年中無休でオープンしています。

かつてメルマガ『山寺の鐘』で配信された「興福寺」の転載

NHKテレビの日曜大河ドラマに合わせて、原作の歴史小説に鋭い論考を加えている文聞亭笑一さんという先生がいます。かつて文聞亭先生が大河ドラマの合間に発信したメルマガで『山寺の鐘』というものがあり、そこには付録の形で「やおよろず」という誰もが投稿できる神社仏閣に関するページがありました。私も興福寺のことを書いて寄稿し、その#4に掲載して頂いたものがありますので、以下に転載させていただきます。

興福寺
鏡 清澄

近鉄電車の奈良駅から東に数分歩くと、そこは緑の草地が広がる奈良公園です。奈良公園には有名な東大寺や春日大社があるのですが、駅からの道で初めに見えるのが興福寺です。興福寺は広々とした奈良公園にこれといった境界線を設けず堂塔が建っていますので、古代のおおらかさが感じられます。猿沢の池から五重塔を見る景色は誰もが覚えがあるのではないでしょうか。修学旅行で奈良へ行ったときに、池から五重塔へ向かう石段のところで記念撮影をした記憶がある人も多いだろうと思います。

興福寺で是非拝観をとお奨めしたいのが、国宝館です。ここには非常に素晴らしい仏像が数多くあります。その中から私の好きな仏像を紹介します。

阿修羅像

娘を帝釈天に奪われて怒り悲しみ、戦の神の帝釈天に戦いを何度も挑む阿修羅の像です。しかし、ここにある像はその物語とは打って変った優しく美しい少年の像です。顔が三面あり、両手も三対ありますが、腕も体も細く、男性なのか女性なのか分からない感じです。この像の前に立つと、その美しさにしばし足が動かなくなります。

竜燈鬼

筋骨隆々の鬼が胸の前で両手を組んで立ち、頭の上に燈篭を載せています。竜をネックレスのように首に巻きつけていて、ギョロッと目をむき、口をギュッと結んでいます。そして微動だにせず、頭上の燈篭をかざしているのです。その姿はどっしりとしていて安定感があると同時にギョロ目の表情がとてもユーモラスです。この像と対になっているのは天燈鬼で、こちらは肩に載せた燈篭を手で支えています。天燈鬼も力強く良い仏像です。私は頭に燈篭を載せている造形が素晴らしいと思うため、竜燈鬼の方が好きです。

旧山田寺仏頭

山田寺は蘇我倉山田石川麻呂が飛鳥に建てた寺です。厳密に言うと、建て始めた寺です。石川麻呂は蘇我入鹿の従兄弟ですが、中大兄皇子に味方して入鹿を倒し右大臣になりました。その後謀反の罪を着せられ、山田寺で自害しますが、後になって無実が証明されました。そのためでしょうか、山田寺は皇室の援助で建築が続けられ、685年に完成したのです。講堂の本尊には丈六、高さが約二・四メートルの薬師如来像が安置されました。

ところが、1187年に山田寺講堂の本尊を興福寺の僧兵が強奪してきて興福寺の東金堂の本尊に据えたそうです。

1411年に興福寺の東金堂が火災に遭い、本尊も焼失したと思われていたのですが、約500年後の1937年、東金堂解体修理のときに薬師如来の台座の中から、その頭部が発見されたのでした。これが現在、国宝館に展示されている旧山田寺仏頭なのです。

石川麻呂がひとかどの人物だったのか、単に入鹿の蘇我本家への対抗心を持っていただけの人間なのか、私には分かりません。ただ、その生涯とこの仏頭の変遷を重ねてみますと、何か胸にジーンと来るものがあります。

仏頭の顔の大きさは1メートルくらいあります。頬はふっくらとした丸みをおび、鼻筋が通っています。唇は固く結ばれ、目は細く半眼の状態です。この像について相田みつをさんが詩を書いています。かなり長い引用になって恐縮ですが、非常に良い詩ですので掲載させていただきます。

こんな顔で

        〜山田寺の仏頭によせて〜

                             相田みつを

宮澤賢治の詩にある

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」

というのは

こんな顔の人をいうのだろうか

この顔は

悲しみに堪えた人の顔である

くるしみに堪えた顔である

人の世の様々な批判に

じっと耐えた顔である

そして

ひとことも弁解をしない顔である

そしてまた

どんなにくるしくても

どんなにつらくても

決して弱音を吐かない顔である

絶対にぐちを言わない顔である

そのかわり

やらねばならぬことは

ただ黙ってやってゆく、という

固い意志の顔である

一番大事なものに

一番大事ないのちをかけてゆく

そうゆうキゼンとした顔である

この眼(まなこ)の深さを見るがいい 

深い眼のそこにある

さらに深い憂いを見るがいい

弁解や言いわけばかりしている人間には

この深い憂いはできない

息子よ

こんな顔で生きて欲しい

娘よ

こんな顔の若者と

巡り遭ってほしい

               以上