小さな英文の碑

唐招提寺の無料休憩所を兼ねた売店の裏手、それほど大きくない池のほとりに、見落としてしまいそうな小さい石碑があります。地面からの高さが三十センチメートルあるかないかでしょう。石碑には銅板が埋め込まれていて、浅く文字が刻まれています。どこの誰が建てた碑なのか、何と刻まれているのか、唐招提寺で働いている人に聞いても明確な答が返って来ません。私がしゃがみこんで書き取った碑文は次の通りです。

英文の原詩

AT TOSHODAIJI

Lo! In the cool air that reigns autumn now, The colossal main hall doth arise to stand, Of Buddhist Temple, neath the history, Thou, Oh, Toshodaiji grand!

The colonnades of eight in frontage seen, Remind us of the ancient edifice in Greece, Imposingly face south thro the brighter sheen, Embosomed in Lasting peace!

Around the hall prevails the majestic grove, While thus among trunks so thick and rough, There bloom some nameless florets in tiny love… Ah, quiet‘tis enough!

This perfect main hall! Symbol great in age, For more than centuries of one and ten, Tho southern gate and fences lose their image Of yore, that awed all then.

Now visitors stroll about by twos and threes, With pious eyes from grounds so hallowed brought, From History’s far recess doth blow the breeze, When people go in thought.

Hiroomi Fukuda

Chimaki Tsukumo

October 22,1952

石碑の日付は詩が詠まれた日?

古語が使われた英語の詩です。韻もしっかり踏んでいます。作者の名前は漢字で福田博臣、津雲千巻とでも書くのでしょうか。また、1952年(昭和27年)10月22日という日は、唐招提寺を訪れた日なのか、石碑を建てた日なのかも不明である。通常石碑に彫る日付というものはその碑を建立する日のはずですから、後者ととるべきなのかなと思います。  ただ、そう思いながらも多少気にかかるのは10月22日という日です。唐招提寺では10月の21日から23日までは釈迦念仏会という大きな法要が行われます。特別な法要の日に石碑の建立はしないのではないでしょうか。私には詩の作者たちが釈迦念仏会のときに唐招提寺を訪ねたように思われてなりません。 なお、10月に詠まれたと思われるこの詩を11月にホームページへ掲載します理由は、昨今の温暖化の影響で、かつての10月の雰囲気が11月に多く感じられると思うからです。

詩の日本語訳

至らないなりに、詩を日本語に訳してみます。古語の英語に合わせて、少しばかり古い表現を心がけてみることにします。

唐招提寺にて

時は秋、清涼の気が漂う中に、

素晴らしい金堂が建っている。

長い歴史を経て、

屹立する御仏の寺。

ああ、壮麗なる唐招提寺。

正面にある八本の列柱は、

ギリシャの古代建造物を想起させ、

悠然と南面したその姿は、

明るく輝きながら、

永遠の安寧を謳っている。

金堂の周りには厳かに樹々が生えている。

それらの樹の間にはこんもり茂った籔があり、

名もなき小さな花々が愛らしく咲いている。

ああ、なんという静かさ。

南門や壁は昔日の面影を失っているが、

非の打ち所のない金堂は

千歳余りの風雪に超然として、

畏敬の念を抱かせる。

清浄な境内を三々五々、

参拝者が散策している。

篤い心で思いをはせると、

遠い歴史のかなたから、

古人の息吹が伝わってくる。

意訳し過ぎかもしれません。英語を知らなさ過ぎる、意訳を越して手前勝手な解釈だ、と批難されるかもしれません。しかし、詩の全体的雰囲気から言えば、直訳より超意訳の方が合っているのではないでしょうか。  ともあれ、この詩は唐招提寺の情景と精神を的確に捉えているように思います。古語の英語でしっかりと韻を踏み、素晴らしい詩が詠まれたものだと感心しています。