奈良の除夜の鐘

大晦日の夜に私が奈良の寺へ行って印象に残っていますところは、東大寺、薬師寺、唐招提寺です。

東大寺には車で鐘撞きに行って、境内裏道の非常な混雑のために車が動けなくなり、立ち往生してしまいました。幸い対向車が四輪駆動車であったために、その車が土手の方に登ってくれ、やっと行きかうことが出来ました。

薬師寺では、NHKの「ゆく年くる年」の中継が終わったところで、広々とした境内を多くの人がゆっくり歩いていました。

五人一組で除夜の鐘を撞くことは続いているのですが、何か緊張から解き放たれたような雰囲気が伝わってきました。薬師寺の全体空間の広さとライトに照らされた明るさも影響しているのでしょう。

唐招提寺では鐘を撞こうと思い、鐘撞き希望者の列に並びました。日ごろは金堂や講堂の陰に隠れてあまり注目されない鐘楼ですが、この日ばかりは主役です。

かがり火が焚かれ、お坊さんがお経をあげ、一人ずつ順に鐘を撞きます。撞木を力いっぱい引き、その反動で鐘を撞きますと、グォーンと重い音が夜の静寂(しじま)に響いていきます。

頭を垂れ、次第に小さくなっていく鐘の音を聞きながら、来る年が良い年でありますようにと祈りました。

立原正秋の小説『春の鐘』

奈良で除夜の鐘と言えば、立原正秋の小説『春の鐘』が思い出されます。だいぶ昔に北大路欣也と古手川祐子主演で映画化もされました。この小説の終わり近くで主人公の二人は法隆寺へ行くのですが、その時に話される「下手な小説家が作った歌」は何とも言えない味わいがあります。

「春なれば いまひととせを 生きんとて 

くらきみだうに こころあずけぬ」

願い事をするのではなく、悩みをひとまず仏様に預けて、もう一年生きてみようという歌です。

主人公の気持ちが伝わってきます。私は特にこの歌の中で、「春」と「生きん」との二文字だけが漢字になっていることが素晴らしいと思いました。

「春=新年を迎え、もう一年生きてみよう」という、ささやかではありますが静かな想い、姿勢が感じられるからです。