第二章 若草山(一部抜粋)
・・・前略・・・
一月の奈良は、夜になるとグッと冷え込んで来る。お客様を案内する必要がなくなって、大池へ迎えに行くまで空白の時間が出来た。見慣れた山焼きだが、折角だから近くで見ようかと、貴一も若草山の前に立った。さっきは白っぽく見えた枯れ草の山が、今は黒く夜の色になっていた。道路には多くの観光客が次々とやってくる。山焼きの場所につめかける人は皆、コートや厚いジャンパーを着て、手袋をしている。マフラーで首や顔をすっぽり包んでいる人もいた。黒い山の中にチラッ、チラッと懐中電灯の黄みを帯びた白い光が動く。山焼きの関係者がいろいろな準備をしているのだろう。寒い。足下から冷えて来る。小さく足踏みしている人もいる。点火はまだかな、と皆が山を見つめている。風で微妙に揺れて動く赤い光は松明の火だ。松明がいくつかあるように見える。間もなく点火されるだろう。
ドン、ドン、ドン、と急に大きな音がした。直後、真上と思うほどの空に大きな花が咲いた。花火だ。また続いてドン、ドン、ドン、ドン、ドンと音がして大空いっぱいに花が開く。間近で仰ぎ見る冬の花火は果てしなく大きく、美しい。そして淋しい。冷たく澄んだ空気の中で花は輝き、一瞬に消えていく。花火がまた上がった。次々と花開いていく。以前に比べ、花火の数が増えている。
「火が点けられたぞ」
誰かが叫んだ。
「どこ、どこ」
「あそこ、あそこ」
「本当だ。見える、見える」
「火が二つになった」
「三つになったぞ」
「燃えていく、燃えていく」
黒い山の中に赤い火が点き、何個所かの点になり、次第にその点が繋がり出した。一本の赤い線が見えたと思う間もなく、線は複数になった。線は時間とともに太くなり長くなり、隣の線と結びついていく。枯れ草が燃えていく。初めのうち弱かった火が隣の火と一つになることで勢いを増していく。火は線から面になっていった。ぼうぼうと燃える。広い山の斜面を次第に火が燃え移って行く。若草山が火の海となっていく。貴一は槇野あずさのことを思い出していた。彼女にもこの若草山山焼きを見せてあげたかったなと思いつつ、紅蓮の炎を群衆の中で独り見ていた。
・・・後略・・・