第一章 千手(一部抜粋)
・・・前略・・・
講堂の中央から戻って裏手を回り、貴一は東室(ひがしむろ)へ向かった。東室は普段は扉が閉まっていて入れないが、今日は中に入れる。ここで特別招待客に茶が点てられるのだ。畳敷きの細長い部屋に屏風が幾つも立てられていた。くの字形に広げられて立っている屏風には年号と年が表示され、多くのハート形の紙が貼ってある。古代の服装をした女性の絵や牡丹などの花の絵、そして俳句や有名な言葉などの書が見え、それらが過去に揮毫された団扇のものであることが分かる。俳優や歌手、政治家に脚本家、お茶の家元、学者や落語家、それに画家や僧など知った名前が団扇の紙の隅に書いてある。著名人の名前を見つけるのも楽しいが、それよりも貴一は書いてある内容に心惹かれた。「一期一会」、「美しき日々越」、「思無邪」、「風月同天」などが個性的な文字で書かれているかと思うと、きれいな花の絵に「淡如水」と書が添えられているものもある。いろいろな絵や言葉の中で最も心を捉えたのは、「苦難を超えて人は真実に出逢う」という書だった。あの人がこんなことを書いていたのか、どんな人生経験をしたのかと、しばし団扇の文字を見つめていた。
・・・中略・・・
一旦マイクを置きかけた僧侶が時計を見たらしく、もう一度マイクを手に持った。
「まだ数分、時間がありますね。折角ですから唐招提寺の教えの話をさせていただきます。唐招提寺の金堂には千手観音立像が安置されています。普通、千手観音像といっても四十二本の手しか持っていません。観音様が胸の前で合掌している二本の手を別にして、他の四十本は一本が二十五本の意味を持っているからです。しかし、唐招提寺の観音様は本当に千本の手があります。もっとも、四十七本が欠けてなくなっていますから、現在は九百五十三本の手です。千手観音の千本の手が何故あるかといいますと、それは私たち衆生を救うためなのです。仏教で千という字は無限を意味します。無限の民を救うための手なのです。
・・・中略・・・
少しの間があって、ドーンと太鼓の音が鼓楼の方から聞こえた。鼓楼の二階の縁側に、上が白い着物で下が黒い袴姿の僧が数人出て来た。団扇を取って撒き始める。ワーッと喚声が上がる。撒かれた団扇を求めて手が伸び、奪い合う。捕ったと思う瞬間、他の手が何本も同時に伸びてきて、団扇の柄が折れる、扇面の紙が破れる。団扇が撒かれるたびに、何度か同じ光景が続いたが、そのうち誰かがコツを示す。団扇の柄の端を掴んだら、腕を高く上へ伸ばして、他の人の手が届かないようにするのだ。完全に確保された団扇まで奪いに来る人はいない。皆も他の人の物を奪い合っては意味がないことを知り始める。それに次々にたくさんの団扇が撒かれるから、それを捕った方が良いと思うようになる。
・・・中略・・・
再び貴一が鼓楼の近くに戻ってきた時は、二階の撒かれる団扇があらかたなくなってきていた。まだ団扇を捕れていない人が大勢いる。疲れと諦めの雰囲気が周りに感じられ始めてきた。撒いていた僧が二階の鼓楼の中に入っていったかと思うと、宝扇をもう一山持ち出してきた。参拝客から大きな歓声が上がる。再び撒かれる団扇に多くの腕が伸びる。これが最後と思うのか、腕が何本も何本も上へ伸び、それぞれの指が無数に広げられ突き出されている。シャッターを押すためにファインダーを覗いていた貴一の唇から言葉が漏れた。
「千手だ……」
無病息災を願って団扇を捕ろうとする手、幸せを得ようとする手、それは求める手である。しかし、それがいつの間にか貴一には幸せを与える手に思えた。千手観音の手だった。
・・・後略・・・