第六章 月光(一部抜粋)
・・・前略・・・南大門は開け放たれていた。中秋の名月の時は拝観料がかからないのだ。石段を上り、門の下をくぐる。夜の暗い境内には参道の両側に点々と行灯が置いてあった。二列の置き行灯に導かれてその先に目をやると、金堂の扉が開けられていて、堂内が明るい。その上には横に長い黒々とした屋根があり藍色の空と一線を画していた。真っ直ぐにのびた参道を歩く。両側には木々が生えていて、生垣の手前にはたおやかに垂れている枝がたくさんある。萩である。虫の声が聞こえる。あずさは耳をすました。鈴虫の澄んだ声にこおろぎのジージーという鳴き声が重なって聞こえてくる。貴一も虫の音に耳を傾けた。松虫の鳴き声は聞こえないように思えた。
二人は金堂の正面に来た。金堂の扉が三か所開けられ、黒い額縁のようになっていて、中には照明が当てられ光り輝く大きな仏像が見える。夜の暗さに慣れてきた目には、金色の光を発する三体の仏像がまぶしい。あずさは光の御堂に圧倒された。直線で区切られた一つずつの額縁の中に、それぞれ一体の仏像が黄金に輝いている。中央に本尊の盧舎那仏坐像、左に数多くの手を持って立つ千手観音、右には、頭部と胴体に丸と楕円のような光背を付けた薬師如来立像である。
「観月讃仏会の時は、お堂の外から仏像を拝んだ方が良いのです」
貴一の言葉にあずさは頷き、開け放たれた扉の枠の中の仏像をあらためて観る。盧舎那仏の顔、厚い胸、そして光背の無数の小仏が燦然と輝いていた。盧舎那仏は頬や衣の一部に金箔がはげて黒い地色のところもあるが、その黒を吸収してしまったかのように光っている。光背の小仏は二十仏くらいずつが一つのまとまりになり、そのまとまりが何十と盧舎那仏の周りに配されている。盧舎那仏そのものと、この光背が発する輝きは驚くべきものであった。千手観音はたくさんの手に目を奪われる。正面では、胸のところで合掌している大きな手の他に、腹のあたりで指を組み合わせている手があり、側面にはいろいろな物を持った大きな手が何本もある。そしてそれ以外に小さい手が無数にあった。それらの手が観音の周りに円を描くように伸びている。千手観音は胸や手の金箔が落ちて黒い。しかし、その地色さえ黒く輝いている。薬師如来も金箔の多くがはげ落ちている。薬師如来の細長い楕円の光背などはほとんど黒と濃い緑に変色しているが、わずかに残った金の部分とともに輝き、如来の後光を感じさせた。あずさは三体の仏像の輝きが明るいライトのせいでも、金箔のせいでもなく、仏像の体内から発されているように感じた。三体の仏像を拝観していて、そのまばゆさにしばし時を忘れた。
眼を下へ転じると金堂の基壇に幾つかの行灯が置いてある。行灯は上部がわずかに広くなった四角のもので、上に取手のような細い横木が渡されている。側面には少しだけ模様が入っていて、木の枝と花のようだ。中を覗くと薄紫色の花のついた萩が一枝入れてあった。風情のある演出である。振り返って東南の空を見上げる。黄から白に色が変わった月が輝いていた。月は形が小さくなったが、澄んで明るい。お堂の中で黄金の光を発して燦然と輝く仏像と、無限に広い夜空から白く澄んだ光を照らしてくる月。その素晴らしい組み合わせにあずさは酔った。
二人は金堂を離れ、木立の中の小道を通って礼堂の方へ向かった。点々とある置き行灯が暗がりに反比例するように明るさを増して揺らめき、足下を照らしていた。何個かに一個の割合で行灯の中に萩の一枝が入っていて、影絵が美しい。虫の声がしきりに聞こえる。数組の人が月明かりに濡れている礼堂の縁側に座っている。貴一とあずさも、その人たちから少し離れて縁側に並んで座った。空を見上げれば木々の上に月があった。二人は黙って月を観ていた。小さな薄い雲が月の前を過ぎようとしたが、月の明るさに圧倒されたのだろうか、雲はわずかの間に消えていった。貴一があずさの方を見る。月に照らされたあずさの横顔が白く透き通るように美しかった。・・・後略・・・